猿投神社 一之鳥居:豊田市加納町

今年も残り少なくなり、商業施設や政府の補助金打ち切りによりガソリンスタンドなど、平日でも軒並み車や人が多くなってきました。
今年1年、猿投山周辺の社寺を巡ってきました。
小さな社も含め、まだまだ訪れていない場所も多くあります。
11月6日、年を越す前に区切りとして紅葉にはまだ早く、青々とした猿投山の麓に鎮座する猿投神社を訪れてきました。

猿投神社というと、山門前に建てられた金色の大鳥居が印象に残る神社です。
ここに至る道筋に鳥居はなく、初めて猿投神社を訪れるとこの大鳥居が一之鳥居と捉えがちです。
しかし、これは一之鳥居ではなくニ之鳥居となります。

金色の大鳥居から南へ2.3㌔ほど、徒歩40分ほどの県道349号線脇の森の中に一之鳥居は立っています。
鳥居の周辺は右手の森の先が県道で、森の西側は籠川に向け、田畑が広がる開放感のある場所になります。
猿投神社の一之鳥居は中央の森の中にひっそりと佇んでいます。

写真は、県道から見た鳥居の立つ森の入口です。
写真は明るく調整していますが、車で通り掛かっても案内板がないため、気付かないことが多いでしょう。
左側の森の中に鳥居の柱の一部が僅かに見えています。
現地に駐車場はないので、籠川沿いの駐車余地に駐車するか、猿投神社の駐車場から40分ほど歩くかの二択になります。

道路から一歩踏み込むと、入口とはかけ離れて雑草が刈り取られ、綺麗に開けた広場が現れます。
その奥にポツンと猿投神社の一之鳥居が建てられています。

一之鳥居全景。
鳥居の手前左に解説板が立てられ、石造の神明鳥居前には幟立てがあり、右側に「猿投神社一之鳥居」の石標が立てられています。

右手の解説。
「一の鳥居
加納町と舞木町の境にあり、今は舞木町で管理しています。
猿投神社の一の鳥居とも二の鳥居ともいわれています。
古くは、梅坪村に一の鳥居があり、同地にはかつて鳥居下の地名が残されていました。
江戸時代の安永8年(1779)に西宮の観音堂を建て直した際の古材を売却した代金で建てたことが始まりで、現在のものは平成6年(1994)11月に建てられたものです。
猿投神社の十月の大祭には舞木町の人たちがのぼり立てを行っています。
猿投地域会議」

解説にある、往古の一之鳥居があったとされる梅坪村は、ここから約10㌔南の籠川が矢作川合流する辺りに梅坪の地名があり、このあたりにあったものと推測すると随分長い参道が続いていたようです。
猿投神社の創建は定かではなく、白鳳時代の書物にも記された古社です。
江戸時代には矢作川の水運が盛んになり、現在の平井町に平江湊、現在の長興寺付近に下江湊という川湊が作られ、人や物資が集まったと思われます。
この川湊から猿投神社に詣でるための参道が築かれ、一之鳥居が建てられていても不自然なことではないでしょう。
ここが現在の猿投神社の一之鳥居です。

正面の神明鳥居や右手の「猿投神社一之鳥居」の石標は、平成7年(1995)に寄進されたものです。
鳥居の先は竹藪に遮られ、神社が鎮座する猿投山は見通すことは出来ません。

鳥居後方の左右に、平成以前に建てられていた鳥居の跡と思われる基礎部分が残っていました。
柱の間隔は現在のものより若干幅が広く、丸い柱の跡もくっきり見られます。

鳥居正面から南側の眺め。
鳥居の先には収穫を終えた稲田や果樹園が広がっています。

猿投神社や、猿投山の奥深くに鎮座する東の宮や西の宮を巡拝するための、最初の入口がこの鳥居になります。

猿投神社一之鳥居
所在地 / ​豊田市加納町向井山​​​
車アクセス / 八草インターチェンジから国道248号線、篠原町上り花交差点左折東進。​所要時間20分​ほど。
訪問日 / 2024/11/6