東郷町春木白土の山神神社から県道36号線を西へ5分程移動すると、そこはもう名古屋市緑区に入ります。
神の倉交差点を右折、次の交差点を右折すれば今回の目的地「徳一稲荷」到着です。

上は昭和43年頃の地図とほぼ同時期の航空写真。
赤枠が「徳一稲荷」で右のマーカーが山神神社になります。
鎮座地の神(かん)の倉の「神」とは、近隣の緑区熊の前に鎮座する熊野神社(左のマーカー)の所在する山を「神ノ倉」と称したことに由来するらしい。
地図を見る限り、この頃でも周囲の山と谷筋に田畑が広がる一帯で民家の少ないのが分かります。
これ以降、更に山は消え、急速にベッドタウンに変貌する事になります。
徳一稲荷の創建は比較的新しく、地図には鳥居は描かれていませんが明治中頃の事です。
明治頃だと一面山だったものと思われます。
徳一稲荷は愛知県神社庁に登録がなく、徳一稲荷として宗教法人登録もみられないようです。
つまり私設神社の可能性が高いかもしれません。

宅地化され、新しい民家が立ち並ぶ一画に徳一稲荷の社地があります。
境内へは地域の方以外の参拝を拒むもののではなく、自由に参拝できる環境です。

境内全景。
手入れの行き届いた植垣の中は、玉砂利が敷き詰められた手入れされた境内になっています。
中央に朱の明神鳥居が立てられ、その先に板宮造りの本殿が祀られています。

徳一稲荷の鳥居扁額。

本殿と徳一稲荷謂れの石標。

「徳一稲荷の謂れ
明治の中頃、赤松の山中で村人が狐を捕えて食ってしまった。
その年は、日照りで稲が枯れ、お蚕が死に絶えた。
困った村人が、熱田伝馬町のわたやの婆さに拝んでもらうと、狐の祟りとお告げがあった。
村人は祠や鳥居奉納して狐を手厚く供養して豊作を願った。
徳一稲荷と親しまれ、以来今日まで供養が行われている。
平成二十九年九月吉日有志一同。」
とありました。
この内容からすれば、創建は明治時代となり、祭神は所謂稲荷神ではなく、食べられた狐そのもので、その霊を鎮め、日照りを解消する目的で祀られたもの。
あまり狐を食すなんて聞かないし、身近で狐は見かけないけれど、何年か前に知多四国を回っている際に、知多半島では狐が自然繁殖していると聞いたことがあります。
狐はジビエとしてもあまり聞きません、その理由にエキノコックスはじめとした寄生虫の存在が知られています。
加熱し、しっかり茹でて、臭みを和らげれば、味や肉質に拘らなければ食べられるようです。
狐を食べたことと日照りに因果関係があるわけではありませんが、そこまで追い詰められた過去があったという事です、このような過去の出来事が神社の創建につながったのでしょう。
人は普段しないことをした場合、不都合な事象を祟りとして、原因をその行為に結び付け、悔い改めるために何かをしようとします。
飽食の時代に生き、肉や植物を当たり前のように食べていますが、生きものを頂く自然への畏敬の念や感謝の気持ちを忘れていないだろうか。
祟りとか否定的な自分から見ると、一匹の狐の霊を鎮める徳一稲荷は、自然への感謝の気持ちを持ち続けることを伝えているように思えます。

食べられてしまった狐が鎮まる板宮造りの本殿。

参道から境内の全景。
明治のころは樹々に包まれ、狐も生息していたであろうこの地域、今も狐はいるのだろうか。
徳一稲荷
創建 / 明治中期
祭神 / ・・・
境内社 / ・・・
氏子地域 / ・・・
例祭日 / ・・・
参拝日 / 2024/12/05
所在地 / 名古屋市緑区神の倉3
山神神社から徳一稲荷車移動 / 距離1.1㌔、移動時間約5分
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