日進市本郷町宮下の白山宮から車で県道57号線を北上し、岩崎交差点を左折して右側の丘陵地に鎮座する岩崎神明社までは、所要時間約5~6分ほどです。
社頭左には大きな参拝者駐車場もあり、車の駐車場所には困りません。
岩崎神明社は、愛知県日進市岩崎町に位置する神社で、岩崎町の人々にとって重要な拠り所であり、古くから多くの参拝者を迎えてきました。
今回は、岩崎神明社の歴史、見どころ、などご紹介します。

社頭は生活道路に面しており、東側は児童公園と接しています。
参道の右側には「神明神社」の社標(1929)があり、長い参道が鳥居に続いています。
社殿はほぼ南向きに建てられています。

上は明治時代の地図です。当時はまだ現在のように宅地化が進んでおらず、岩崎村の外れに鳥居の姿が見られます。
社頭の前の道は西に続き、現在の県道217号線となり、梅森坂交差点に至る古くからの道のようです。
丘陵の高みから、南の集落を見守るように社殿が鎮座します。

長い参道の中ほどから見る社殿の眺めは、郊外の神社らしい広々とした境内と大きな空が広がっています。

参道先の石段から鳥居と社殿の眺め。
石の神明鳥居と右側に手水舎があり、鳥居正面に切妻屋根の拝殿と右側に境内社がまとめられています。

手水舎、手水鉢。
左の石碑は由緒書き。

内容は以下。
「当社は天照皇大御神を奉祀し、文明5年(1473)巳9月創立。
元当社は赤池村の氏神なり。
丹羽帯刀没落後、岩﨑北髙上地内の台地にあり。
その後更に現在の処に移し祀ると伝え、この地域住民の守護神として深い信仰をあつめている。
然るところ昭和34年(1959)伊勢湾台風以来、度々の災害により境内地は土砂崩壊、陥没等により本殿周辺はもとより諸施設は危険状態となったので協議の上安泰を期するため、この地に境内地を移転し本殿、祝詞殿、拝殿、社務所等の造営並に境内一般の整備を行い、神社の面目を一新した。
ここにその概要を録して記念となす。
昭和48年9月16日」
と詳細に書かれており、地史の確認まではしていません。
愛知県神社庁に登録がありましたが、内容的には由緒を越えるものは記されておらず、神職不在の神社で白山宮が兼務社という事だけは分かりました。

境内右から社殿の全景。
一対の狛犬が守護する拝殿は神明造のコンクリート製で6本の鰹木と内削ぎの千木が施されています。

境内右側の境内社。
左から須佐之男社・神明神社・御鍬社・熱田社・山神社が祀られています。

拝殿前を守護する狛犬は昭和48年(1973)に寄進されたもの。



棟持ち柱が神明造のトレードマークです。
大棟に載せられた内削ぎ千木と6本の鰹木。
ご存知のように千木は、屋根の両端に取り付けられる装飾部材です。
水平にカットされた内削ぎ千木は女神を祀るともされ、垂直にカットされた外削ぎ千木は男神を祀る神社に取り付けられるとされていますが、実際には女神でありながら外削ぎの千木がある場合もあります。
屋根の上に水平に取り付けられる丸太状の飾り鰹木は、その数が偶数なら女神、奇数なら男神を祀るとされていますが、こちらも同様で一概にそうとは言えない場合もあります。
長い歴史のある神社だと過程で祭神が変わったりする場合もあるので、装飾として捉えるのがいいかもしれませんね。


庚申信仰に基づいて建てられたもので、その始まりは古く、平安時代に大陸から伝わったものとも言われます。
庚申信仰は、人の体内に三尸虫(さんしちゅう)という虫がいると信じられ、60日ごとに巡ってくる庚申の日の夜に天帝に悪事を報告するとされ、その結果早死にすると信じられたようです。
こうした庚申塔は、街道沿いや村落の入り口などに置かれ、ある種村の守り神としての役割も持っていたと言われます。
周辺には岩崎城や天白川沿いには飯田街道が東西に延びています。
また、岩崎城古墳、白山古墳があり、これらの立地からも、この地域は古くから歴史的に重要な場所であったと思われます。

ひと昔前、地域に安置されていたものが、宅地化にともないここに集約されたものだろうか。
やさしい表情の地蔵さんに問いかけても、一切教えてはくれるわけもなく。
岩崎神明社
創建 / 文明5年(1473)
祭神 / 天照皇大神
境内社 / 須佐之男社・神明神社・御鍬社・熱田社・山神社