
交差点の突き当たりは、ガードレールが続いて入口がないように見えますが、正面にガードレールの切れ間があるので、そこに入っていくと境内に入れます。
写真の社頭は、県道233号線沿いにほぼ南向きに社殿が建てられており、右手に岩藤公民館、社頭の手前が消防団詰所で、この一画が地域のコミュニティーの中心となっているようです。
社地の後方には天白川の支流岩藤川が流れています。
社頭右に神明社の社標(平成12年)、左に造営記念碑(平成12年)が立てられており、石の神明鳥居の先に神明造の社殿、社殿左に境内社が纏められています。

寄進年は比較的新しく、平成12年(2000)に寄進されたものでした。


平成12年に新たに刷新されたようで、外観に傷みはなく綺麗な社殿です。

「岩藤神明社由緒
当地は正保3年(1646)岩崎越、本郷越、岩作越、又三河寺部越よりの祖十一戸が移住し新田を起こす、その後岩崎村、藤島村の両村名より岩藤新田村となる。
岩藤神明社は寛文13年3月(1673)に創建され、岩藤新田村(現岩藤町)の氏神として祀る。
(区保存資料より抄出)
現在では合祀されている天王社の祭(天王祭り)が毎年7月に盛大に行われる。
旧御社殿は上葺の棟札より明治17年に再建し、昭和5年12月に建立されたもので、以後改修を重ねたが永年の風雪による老朽化が著しく、この度境内地の有効利用も考慮し旧本段より北側に全面御造営された。
祭神 天照皇大神
祭神 須佐之男神
祭神 大山津見神
当地は正保3年(1646)岩崎越、本郷越、岩作越、又三河寺部越よりの祖十一戸が移住し新田を起こす、その後岩崎村、藤島村の両村名より岩藤新田村となる。
岩藤神明社は寛文13年3月(1673)に創建され、岩藤新田村(現岩藤町)の氏神として祀る。
(区保存資料より抄出)
現在では合祀されている天王社の祭(天王祭り)が毎年7月に盛大に行われる。
旧御社殿は上葺の棟札より明治17年に再建し、昭和5年12月に建立されたもので、以後改修を重ねたが永年の風雪による老朽化が著しく、この度境内地の有効利用も考慮し旧本段より北側に全面御造営された。
祭神 天照皇大神
祭神 須佐之男神
祭神 大山津見神
御造営概要
境内地 約1,111平方米(約336坪)
本殿、祝詞殿、拝殿(木造平屋建鋼板葺)、47,59平方米(14.39坪)
造営期間 発足 平成10年2月11日
完成 平成12年5月14日
造営総額 7,300万円余」
境内地 約1,111平方米(約336坪)
本殿、祝詞殿、拝殿(木造平屋建鋼板葺)、47,59平方米(14.39坪)
造営期間 発足 平成10年2月11日
完成 平成12年5月14日
造営総額 7,300万円余」


拝殿に続く石段の前で一対の狛犬が守護する。


この時期のものだと、後に大陸から輸入されてくるものとは違い、風貌に貫禄が漂います。



内部は木の温もりを感じさせるもので、五七の桐が神紋のようです。
大きな鏡の先の3枚の扉に天照皇大神、須佐之男神、大山津見神が祀られています。

前を横切るのが県道233号線になります。

社名や由緒は分かりません。


年代は確認していません。
古くからの道筋、そこに出来た集落に庚申講が広まっていたのだろう。
現在も続いているのか定かではないけれど、こうした碑の近くには集会場が作られ、庚申の日には人びとが集い、寝てしまうと動きだす三尸虫を封じるため、一晩中飲食をしながら過ごしたそうだ。
今のように娯楽もない時代なので、真に封じるのが目的なのか、菓子を持ち寄り情報交換することが楽しみだったのか微妙かも知れないが、市街地で見かけることもなくなりました。

本殿は神明造のようで、内削ぎの千木は見られますが、鰹木の数までは確認できなかった。


社地裏側の岩藤川の細い流れ、正面の橋の名は「天王橋」。
毎年7月に行われる岩藤天王祭では、日進市唯一の山車が曳き回されます。
この祭り、昭和の一時期に中止されていたそうですが、昭和56年から再び行われるようになった聞きます。
ちょうちん車と呼ばれるこの山車は、社殿右の大きな保管庫の中でその日を待っているようです。
毎年7月に行われる岩藤天王祭では、日進市唯一の山車が曳き回されます。
この祭り、昭和の一時期に中止されていたそうですが、昭和56年から再び行われるようになった聞きます。
ちょうちん車と呼ばれるこの山車は、社殿右の大きな保管庫の中でその日を待っているようです。
岩藤神明社
参拝日 / 2025/01/09
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