北新町平池交差点を左折し北新田川に架かる橋の手前を左折し川沿いに進みます。
川沿いに駐車余地があるので車はそこに停めて、少し自分の足で歩きましょう。

北新田川堤の道路は車一台がやっとの幅員の狭い道路で、散策をされる方も有り、路駐は避けて道路脇の余地に停め近隣の方に迷惑だけはかけたくないものです。
左の田畑の中ほどに朱の鳥居と小さな森が見えますが、そこが目的地の狐塚稲荷社です。
この道路を少し先に進むと、左に細い道が伸び、稲荷社に続いています。

上は明治頃とほぼ現在の鎮座地周辺の地図。
岩藤神明社から車で2~3分程の位置になります。
周囲は田畑が広がり、明治の頃と現在の景色は大きく変わっていません。
大きく変わったとすれば、東名高速とその後造られた日進JCと名古屋瀬戸道路の無機質な高架橋が視界を遮っています。

冬枯れた田畑の中の朱の鳥居と小さな森の緑がとても存在感がある。

冷たい流れの中で小魚を求めて佇む鷺の姿。

飛び去る訳でもなく、一定の距離を保ちながらじっと小魚を探しているが、少しでも距離を縮めると飛び立つ態勢に切り替わる。
食事のお邪魔なので遠巻きに通り過ぎる。

東側の北新町相野山に鎮座する相野山八幡神社の由緒によれば、岩藤川と北新田川に挟まれたこの辺り一帯は、慶安元年(1652)に北新田開墾のため三河各地から移り住んだ入植者により開かれた地域とされます。
それに伴い創建されたのが相野山八幡神社で、北新田川を境にして岩崎町、岩崎川を隔てて岩藤町と接しています。
稲荷社は現在の北新町の西外れ狐塚の田畑の中に鎮座地します。
近隣の兼務社と思われる主たる神社に目を通しましたが、新田開発に伴い祀られたものか、近年に入り祀られたものか、創建や由緒について分からず、明治までの地図には鳥居の印は見られず、航空写真を見る限り、昭和36年には畑の中に神社が確認できます。

神社全景。
多くの奉納鳥居が立ち並び、鳥居をくぐり左に180度曲がった先に本殿が建てられています。

鳥居の扁額には狐塚稲荷社とあります。
社名の狐塚は地名からか、社名から地名がついたものか分かりません。

比較的新しい奉納鳥居の先は休耕田が迫り、長い社地は確保できなかったようです。

左に回り込むと本殿前にも奉納鳥居が建てられ、その先の基壇の上に朱色の覆屋が建てられています。

覆屋の中の本殿は石の社。
稲荷社とありますが、覆屋や境内には狐感は見られません。

新しい花も供えられており、今も崇敬されているようです。
そして、ここに訪れるのは崇敬者だけではなさそうですね。
黒い扉に付けられた痕跡は何を物語っているのだろうか。
近くの相野山八幡神社の社頭には「イノシシ出没注意」の看板もありました、猿投山では熊やニホンカモシカも現れます。

田畑の中にポツンと佇む狐塚稲荷社、好きな光景です。

怪しい色の雲も流れてきました。
鷺のように飛んで帰れれば、信号待ちや渋滞もないのだろうが、そろそろ帰途に着く事にします。
狐塚稲荷社