清須市須ケ口:須佐之男社

1月18日、名鉄の「150年以上続く伝統の味を守る『尾張屋』『ナカモみそ』の礎を体感コース」を歩いてきました。
名鉄名古屋本線須ヶ口駅」をスタート→小場塚弁財天→尾張屋守口漬老舗→庄内川水防センター→ナカモみそ→日本最古の歩道橋跡→壱番屋記念館などのチェックポイントを経て名鉄犬山線中小田井駅」をゴールとする全長約8kmほどのコース。
コースは旧美濃街道を通ることから、古い町並みに鎮座する神社や屋根神さまが見られることを期待し、チェックポイント以外はルートから脱線することが多く、ゴールも地下鉄庄内緑地公園としていました。

須ヶ口駅南出口。
須ヶ口駅でルートマップを頂き、いざスタート、県道126号線(旧美濃街道)を南方向に向かいます。

駅から約6分ほど、約400メートルの旧美濃街道沿いに鎮座する須佐之男社に立ち寄りました。
所在地は​清須市須ケ口2110。
神社境内右手に旗本公民館分館があります。
街道沿いのこの辺りの町名は、現在須ケ口となっていますが、ここに来る途中「旗本」バス停を見かけました、そしてここ「旗本」公民館。
ここから少し北に「外町」がありますが、由来は清須城外堀の旧称「外町」から来ているという。
「旗本」と名が残ることから、街道沿いには旗本屋敷や茶屋・商店が軒を連ね、今よりも活気があったと思われます。
尾張名所図会の挿絵には、顔を隠しながら遊女を求める武士の姿は描かれていましたが、当神社の記述は見られなかった。

過去の地図では明治から昭和55年以前には鳥居の印がなく、昭和55年から記されるようになりますが、それをもって新しいと決めつけることは出来ません。
境内には明治の元号が刻まれた寄進物もあり、江戸末期にはここに鎮座していたと考えられます。
web情報によれば、「慶長12年(1607)に津島神社から勧請し、津島社と呼ばれていた」とされますが、参考文献が不明なため、ここでは創建時期は不明とさせて頂きます。

右手の須佐之男社社標は昭和10年(1935)に寄進されたもの。
石の神明鳥居は明治41年(1908)に寄進されたものです。

鳥居をくぐると左側に手水鉢と生け込み燈籠が見える。
竿に銘文が刻まれていましたが、私には全文を読み取れなかった。

舞殿。
木造瓦葺の四方吹き抜けで、妻壁に掲げられる大きな神額が目を引く。

須佐之男社扁額。

舞殿から拝殿方向の眺め。

舞殿全景。
この後方が旗本公民館分館。

木造瓦葺の横拝殿で、右手の社務所とは屋根で繋がっています。
拝殿前の石の賽銭箱は面白い構造で、地下に埋設された箱に収まるようになっている。
なくならない賽銭泥棒、これくらい必要な時代なんだろう。

拝殿前の昭和7年(1932)に寄進された狛犬
いい顔つきをしています。

蟇股の龍、長い髭と生々しい鱗のディテールが際立っており、目を引きつけるポイントです。

格子戸から本殿域の眺め。
本殿の左右に境内社が祀られています、本殿の造りはここからでは良く分かりません。

どうやら流造のようですが、境内社の社名までは分かりません。

拝殿左から本殿の眺め。
右の燈籠の竿には寄進者と「東京市」の銘が見られ、明治頃に東京の崇敬者から寄進されたようです。
清須にありながら、関東から寄進を受けるとは。
本殿域後方は線路が迫り、赤い車両の姿見られます。

この写真に写っているのは名鉄電車の新川検車支区です。
左に見える森が須佐之男社の杜です。
ここは車両の点検や事故時の運行整理の拠点で、最大78両を収容できるそうで、さまざまな車両を見ることができます。
ちなみに、この日はドクターイエローが走るとのことでした。
新川近くの新幹線橋脚付近には長いレンズを持った鉄道マニアが陣取っていたそうです。

須佐之男社から南に進み、コースに復帰し新川沿いを上流に向かいます。
コースは「清須市役所交差点」を右折し新川小橋を渡るのですが、我家はこのまま直進し、「清須市役所北交差点」まで遡り、さらに直進し新幹線の高架方向に向かいました。

須佐之男社(清須市須ケ口)
祭神 / 須佐之男
創建 / 不明
境内社 / 不明
氏子域 / 不明
例祭 /  不明
兼務社 / 不明
所在地 / ​​清須市須ケ口2110
参拝日 / 2025/01/18
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