前回掲載した松原神社から、美濃路を5分ほど東に向かった、美濃路沿いに社頭を構える神社が六軒神社です。

美濃路沿いに南を向いた六軒神社社頭全景。
右手に「六軒神社」社標があり、神明鳥居の一ノ鳥居は参道の少し先に建てられています。
街道と接しているため、間口が狭く、奥に長い社地で、参道の先に二ノ鳥居と社殿がある。


参道中ほどから玉垣が社地を囲っており、その先に二ノ鳥居と社殿、左に大きく伸びた杜を持っています。
境内には私の見た限り六軒神社の由緒書きは見当たらなかった。
また、愛知神社庁清須市の掲載神社一覧から社名・所在地ともに六軒神社の記載は見つからなかった。
大正12年(1923)に出版された「西春日井郡誌」による六軒神社の記述は以下。
「六軒神社
西枇杷島町大字下小田井字東六軒町十番地にあり。
祭神 須佐之男命、伊邪那肢命、伊邪那美命、火具槌命を祀れる村社なり。
勸請年月詳ならず。
大正二年十一月十日、末社洲原社、秋葉社を合祀す。
境内には私の見た限り六軒神社の由緒書きは見当たらなかった。
また、愛知神社庁清須市の掲載神社一覧から社名・所在地ともに六軒神社の記載は見つからなかった。
大正12年(1923)に出版された「西春日井郡誌」による六軒神社の記述は以下。
「六軒神社
西枇杷島町大字下小田井字東六軒町十番地にあり。
祭神 須佐之男命、伊邪那肢命、伊邪那美命、火具槌命を祀れる村社なり。
勸請年月詳ならず。
大正二年十一月十日、末社洲原社、秋葉社を合祀す。
境内208坪、神殿、玉串御門、三玉垣等あり。
境内神社
洲原社(祭神 伊弉諾尊、伊弉冊尊)
秋葉社(祭神 火具槌尊二所)あり。
例祭六月十一日、祭車二輛を出し大に阪ふ。
社寶に徳川公より拝領の太鼓あり(直径一尺六寸五分、立一尺四寸五分、丸六尺四分) 」
とあった。
創建は明暦2年(1656)と伝わり、境内には文政7年(1824)の銘の入る手水鉢等が寄進されていました。
現地。
境内社の内容は一部「西春日井郡誌」と違いが見られ。
境内には記載のない金毘羅社が祀られ、洲原社、秋葉社の個別の社は見当たらなかった。
本殿が三社相殿のため、そちらに祀られていると思われます。
境内神社
洲原社(祭神 伊弉諾尊、伊弉冊尊)
秋葉社(祭神 火具槌尊二所)あり。
例祭六月十一日、祭車二輛を出し大に阪ふ。
社寶に徳川公より拝領の太鼓あり(直径一尺六寸五分、立一尺四寸五分、丸六尺四分) 」
とあった。
創建は明暦2年(1656)と伝わり、境内には文政7年(1824)の銘の入る手水鉢等が寄進されていました。
「祭車二輛」については、200年の歴史を持つ「尾張西枇杷島まつり」では、橋詰町、問屋町、東六軒町、西六軒町、杁西町の5輌の山車が曳き回されます。
東六軒町の山車は泰亨車、西六軒町が紅塵車と呼ばれているそうです。
東六軒町の山車は泰亨車、西六軒町が紅塵車と呼ばれているそうです。
現地。
境内には記載のない金毘羅社が祀られ、洲原社、秋葉社の個別の社は見当たらなかった。
本殿が三社相殿のため、そちらに祀られていると思われます。

参道を進むと、境内は横に広がりを持ち、左側に境内社の金毘羅大権現が祀られています。

本殿域全景。
金毘羅大権現の石標は大正の元号が刻まれ、写真右手の大きな自然石にも文字が刻まれていましたが読み取れませんでした。

金毘羅社から見る六軒神社社殿全景。

漱水と刻まれた「手水鉢」の側面に文政7年(1824)の銘も見えます。

二ノ鳥居前の常夜灯。

竿には〇正4年と銘が刻まれていますが、〇が大なのか天なのか良く分からなかった。

二ノ鳥居前の狛犬。

拝殿全景。
右三つ巴の紋が入れられた賽銭箱もあり、外観は神明造の拝殿に見えますが、神門でもあり、祭文殿の役割を持つような造りの建物。
このブログでは拝殿としておきます。
このブログでは拝殿としておきます。

拝殿の扉は開け放たれており、渡廊の先の本殿が間近に見えます。

内部の扁額は「六軒社」

正面の本殿は三社相殿。

拝殿妻側に古い額が掛けられています、施凱と書いてあるような、〇はなんだろう・・・分からない。

本殿全景。
神明造で棟には鰹木と内削ぎの千木が付くもの。
