
中小田井駅から東へ7分ほど、中小田井町並み保存地区に鎮座する善光寺別院 願王寺に立ち寄ってみました。

庄内緑地の西側の庄内川右岸に鎮座し、鳥居と赤い奉納幟、大きな山門が特徴の寺院です。

岩倉街道から山門の眺め。
「善光寺別院 願王寺」寺号標があり、左手に寺院には珍しい鳥居が立っており、石畳の参道が山門に続いています。
この鳥居と赤い奉納幟は目を引く存在ですが、更に視線を集めるものに参道脇の石像です。

参道脇の石像。
観音様とか地蔵さんなら違和感はないかもしれない、とても好奇心をそそるものです。
左は遠目に見ると烏天狗のようにみえますが、これは迦楼羅(かるら)像と呼ばれ、インドネシアの航空会社ガルーダ・インドネシア航空の尾翼を飾るロゴにも使われる、インド神話の霊鳥として崇拝されている。

迦楼羅像の頭部を見上げて見ると、迦楼羅に肩車されたヴィシュヌ神の姿があります。
ヴィシュヌ神はこの迦楼羅に乗り、人々に恩恵をもたらすとされます。
右のモアイ像のような石像は、トルハルバンと呼ばれ、韓国の済州島で見られる石製の守護神像です。
現地方言で「石のおじいさん」と呼ばれるようで、村の入口や重要な場所に設置されるという。
このおじいさんが村を禍から護り、繁栄に導くとされます。
1700年代頃から作られはじめたといわれ、初期の像は島内に45体ほど残り、現地の民俗文化財に指定されているそうです。
そんな文化財がなぜこの地にあるのか調べてみたところ、願王寺前住職が仏跡を巡る旅の途中、済州島でトルハルバンと出逢い、現地でレプリカを買ってきたものだという。
日本の寺院には違和感のあるものかもしれないが、遡って行けば同じ違和感はないのかも。
自信はないが、市内南区の東海道沿いの神社などでもトルハルバンに似た像を見た記憶があります。

山門前の参道左の鎮守社。

創建時期など詳細は不明ですが、左に辨才天、吒枳尼天稲荷権現が祀られています。


右の白山権現。

山門から境内の眺め。
山門額は「善光寺」、左右の間には仁王像が安置されています。
この山門は明治3年の台風、明治24年には濃尾地震で被災、昭和62年に再建されたもので綺麗な状態の山門です。

両の間に安置されている仁王像。

左が本堂で、正面左の方形屋根の建物がへちま薬師堂、右が保存地区にあった旧平手邸を移築した明光閣。
広い境内には東屋が二棟建てられています。
願王寺由緒について西春日井郡誌・境内由緒より抜粋したものが以下になります。
「願王寺(天台宗)山田村大字中小田井字北出入番地にあり。
明光山 松壽院 願王寺と號し、東春日井郡野田村密蔵院の末寺なり。
淳和天皇の天長6年(829)疫病が流行し、死亡する者が多かった。
時に越前国より當地に来たりし高僧澄純法師が一宇を建て、患者の為に慈覚大師一刀三礼自作の薬師如来の像を安置し、疫病消除の秘伝を修し、治病したのが始まりと伝えられる
明治42年春、善照院伏雷法師により信濃国善光寺本尊、善光寺如来を勧請、拾数日間開眼供養を行い奉拝する人も多かった。
伽藍は山門、本堂、庫裡、地藏堂、観音堂等がある。
昭和4年撞木造りの本堂が建立され、昭和49年、由緒ある建物の素材を活かしながら、斬新な五角形総ガラス張りのモダンな本堂となり、「日本建築学会賞」を受賞したという。
街並保存地域の中にあって、モダンな本堂は絶妙に調和を見せている。
「善光寺別院願王寺」と称され、地域住民からは「善光寺さん」の名で親しまれ、境内には咳・ぜんそくの「へちま薬師」が祀られている。

長い歴史を誇る願王寺は尾張名所図会にも記されており、挿絵が描かれていました。
手前の道が岩倉街道で、左に願王寺、上に東雲寺、右に五所社が描かれています。
当時山門は建てられていなかったようです。
五所社の大鳥居前の通りが現在の県道になると思われます。
現在の願王寺と五所社の間には集合住宅や民家が立ち並び当時とは少し様相は変っているようです。

山門から鳥居方向の眺め。

石のおじいさんの後ろ姿もやはりモアイ像に見えてくる。
