前回掲載した岩倉街道沿いの願王寺から南150mほどの位置に社頭を構えています。
鎮座地は、庄内川右岸の本堤防の北に広がる庄内緑地のさらに北側に造られた副堤防の脇に位置しています。
この辺りは、二つの堤防で庄内川の氾濫から護られています。

これは岩倉街道沿いにある西側参道。
右側に見えている玉垣の後方に「村社 五所社」の社標があり、参道の先に神明鳥居を構えています。

西参道鳥居から境内の眺め。
南北に長い社地で左に手水舎、社殿があり、鳥居の右側に正参道があります。

上は、願王寺でも使用された尾張名所図会(天保年間)の挿絵です。
下側に西参道の鳥居が、右側の堤防沿いの正参道には少し大きな鳥居が描かれています。
建物の配置は、描かれた当時のままで、拝殿右側の緑に包まれた神主住居の一帯は、後に開かれて境内が拡張されたようです。

天保12年(1841)の尾張名所図会に書するが、創建は詳らかでない。
小田井城主織田藤左衛門宣組が天文14年(1545)五社宮を修復した棟札が残っていて、他に江戸時代の棟札は、寛永11年(1634)以下、三十一枚が残され保存されている。
祈年祭 三月第一日曜日

社殿全景。
瓦葺で四方吹き抜けの妻入り拝殿で、手前に一対の狛犬が守護しています。


由緒では明治26年(1893)再建されたとありますが、以後も修復の手が入っているのか、外観は綺麗に保たれています。
拝殿破風飾りには橘紋が入れられ、妻壁の力強い龍の姿が印象的です。
明治24年の濃尾地震で倒壊するも、僅か2年で復旧された拝殿、中小田井の氏子の力強い支援を受けているのが伝わってきます。

拝殿から本殿方向の眺め、拝殿内に「五社宮」の額が掛けられています。

本殿及び周辺の末社の眺め。
挿絵に描かれた境内には、多くの境内社が描かれていますが、それらは今も変わりはないようです。

写真は本殿右側の朱の社が津島社で右が国府宮社。

写真は秋葉社の覆屋。

手前の常夜灯は文化3年(1806)の先人達が寄せたものです。

秋葉社本殿。

秋葉社右の金毘羅社。

拝殿から先の本殿全景。

神門前の御神木は楠木で、枝は剪定され、太い幹が空に向かって聳えています。
樹齢は不明ですが、挿絵に描かれている樹はこの御神木だろうか。
右は恐らくイチョウの樹だろうか、幹は割れていますがまだ生きています。

石段右の神明社と橘の紋が入る鬼瓦。
平成26年(2014)拝殿修復時の当時のものが保存されています。
拝殿に傷みが見られないのはそのためですね、現在の拝殿の鬼には橘の紋は入れられていません。

狛犬は台座は明治31年(1898)で狛犬は昭和55年(1980)に寄進されたもの。
どうりで優等生の姿をしているわけだ。

神門の格子戸から本殿域の眺め。
本殿八幡社と白山社の両脇に其々2社、木札から左から熊野社、天神社、本殿右は木札が見えないので不明ですが、神明神社、愛宕社が祀られています、五所社の由縁です。

本殿域から拝殿、正参道方向(庄内緑地)の眺め。
こちらの妻壁の彫飾りは、神功皇后(右)と応神天皇を抱く武内宿禰(左)の姿が描かれています。
彫飾りは見応えあるものです。

拝殿全景。
コンクリ―ト造にはない温もりのあるものです。

本殿域左の境内社は稲荷社。
複数の奉納幟も挿絵が描かれた当時の面影を残しています。

稲荷社本殿。
流造で3本の鰹木、外削ぎの置千木が載せられています。

境内右側から社殿全景の眺め。

後方は中小田井公民館で住民のコミュニティーの場になっており、境内右に故郷の移り変わりを見守るように殉国之碑が建てられています。

堤防上の社号標から眺める表参道。
この光景、ここから10分程北東の星神社の社頭と見紛うばかりです。
今回の名鉄のハイキングもこれにて終了、後は庄内緑地公園から地下鉄で家路につきます。
これまで清州・枇杷島方面はおっくうになる地域でしたが、多くの神社や街道の面影を感じながら歩くには絶好な地域なのが良く分かりました。
過去記事
・七夕伝説の伝わる『星神社』