今回の第一回歩いて巡拝知多四国も、ここ六番札所萬年山常福寺でゴールを迎えます。
江端八幡神社を後にして、県道57号線の半月町1丁目交差点で左に進み、国道23号線を南下、健康の森北交差点を右に進めば六番札所曹洞宗常福寺到着です。
江端八幡神社から約2㌔・30分ほどの場所になります。
一・二・三・四番…ときて六に飛ぶのね、地図から五番札所地蔵寺を見れば頷けます。
都合のいいように順番通り並ばないのが知多四国巡礼。

萬年山常福寺山門の全景。
10.5キロのコースのゴール、寄り道しながらだったので、恐らくこの距離は軽く上回っているのは間違いなく、薬井門を前にして多少足が重く感じられる。

山門左の小さな社が祀られていましたが、詳細は不明です。

薬井門から境内の眺め。
正面に見えるのは観音堂、弘法大師の像はこちらに安置されています。

参道から境内正面の眺め。
左に手水舎があり、正面の観音堂、右手に鐘楼があります。

澄んだ清水を湛える手水鉢、清水を注ぐ龍は今日ばかりは大忙しだ。

境内左側は美しい白砂の庭園とその先の寄棟の建物が本堂で納経所はこの左になります。
曹洞宗萬年山常福寺の歴史について「大府市誌」に補足を加えて見ていきます。
「万年山 吉田町北向52番地に所在する。
乾坤院(知多郡東浦町)の末寺。
所蔵する過去帳によると、建久年間(1190~99)に、壇ノ浦の戦いで敗れた平景清が開創したとある。
景清はこの地にきて、つねに観世音菩薩を念じ、自ら観音の木像を彫刻し草庵を結んで安置したといわれる。
この観音堂が前身となり、満念山常福寺となった。
満念とは観音菩薩の徳に報いる念願満足の意味、常に景清の冥福を祈るところから、常福寺の寺号となり、後に、萬年山と改称した。
天文15年(1546)に火災にあい、慶長14年(1609)9月、浅羽八太夫が敷地を寄進、村民と協力し、観音堂と別に客殿・ 庫裡などを建立し、乾坤院三世芝岡宗伝の法孫、 養泉元育を請じて開山となした。
宝永5年(1708)には、諸堂を20間余り東に移して法堂を建立したが、安政4年 (1857)11月に、二世大賢泰道が再び本堂建立を発願して以来、明治7年12月に法地再興され、同9年2月に完成しその棟札が残る。
他に黄檗宗開祖の隠元隆琦の墨趾も所蔵する。
寺宝 木像地蔵菩薩立像1躯 藤原時代」
全国には様々な伝承が伝わります、上にもあるように平景清が当地へ逃げ延びたという記述は尾張名所図会にも「景清宅趾」として半月村の記述が残る。



観音堂正面の眺め。
景清の没年や場所は各地に伝えられ、実際の所確定するものは乏しい中、景清の作とされる千手観世音菩薩や、景清の法名「水鑑景清大居士」の位牌も残る事から単に口伝えだけではないようです。
一説には景清は建保2年(1214)この地で没したとも云われるようです。

観音堂右側からの全景。
入母屋瓦葺で一間向拝を持つもので、明治以降の伽藍の修復時期は定かではない。
右手の参道の先が最寄り駅まで繋ぐ臨時バス乗り場となっていました。

観音堂右の鐘楼。
長い歴史を持つだけに、この梵鐘がいつのものか、再鋳されたものか興味があったが、食事の為に1㌔先のげんきの郷に急いでいたので見送りました。

はんつきの ほうのひかりの かがやきて まよひのくもも はれてあとなし
知多四国巡礼 六番札所 萬年山 常福寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 建久年間(1190~99)
開創 / 平景清
開山 / 養泉元育
本尊 / 釈迦牟尼仏、千手観世音菩薩
札所 / 知多四国六番札所
参拝日 / 2025/01/25
所在地 / 大府市半月町3-151
江端八幡神社から常福寺 / 県道57号線を西に、大目寺西交差点北側の江端八幡神社まで1.6km・約25分
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一㌔歩いて、げんきの郷の魚太郎でこの日の昼食とお清め。
家に帰れば粗食の日々が続く、せめてこんな時ぐらい・・・
帰りはここから3㌔先のJR大府駅から家路につく。