七番札所極楽寺から次の八番札所傳宗(ぜんそう)院へは、師崎街道を15分ほど南下した東浦町緒川天白に鎮座します。
鎮座地の緒川は古くは小川と書かれていたが、明応8年(1499)に歌人飛鳥井雅康が小川城主水野右衛門太夫を訪ねた際に「松のうへに繰るてふ糸の伊久結び玉の緒川の末かけてみむ」と詠んだことから緒川と書くようになったと云われます。
小川城址は傳宗院の南、15分ほどの所にあります。
室町時代の知多半島北部や刈谷は水野氏が治めていた。
小川(緒川)城は文明年間(1469-1486)、水野貞守が先祖の旧地に築城したと伝えられ、その後も忠政や信元ら水野氏の居城となり、忠政の娘で、徳川家康の生母於大の方(伝通院)の誕生の地でもあります。
城は慶長11年(1606)に廃城となりました。

八番札所 曹洞宗 上世山 傳宗院の鐘楼門全景。
傳宗院は刈屋城主の水野信近の子、水野守隆氏が開創した曹洞宗の寺院で本尊は延命地蔵菩薩。
この鐘楼門は2018年に再建されたようです。
目指す観音堂(弘法堂)はこの門の右手に八番札所石標が建っています、まずは本堂に参拝です。
傳宗院は刈屋城主の水野信近の子、水野守隆氏が開創した曹洞宗の寺院で本尊は延命地蔵菩薩。
この鐘楼門は2018年に再建されたようです。
目指す観音堂(弘法堂)はこの門の右手に八番札所石標が建っています、まずは本堂に参拝です。

境内の手水舎に数珠を持つ龍の姿があった。

寄棟瓦葺の本堂、右手が庫裏・寺務所で、境内右からも観音堂(弘法堂)に繋がっています。

本堂の額は「傳宗禅院」
由緒については、尾張名所図会、尾張徇行記、尾陽雑記、東浦町史に目を通しましたが東浦町史が読みやすく纏まっていますのでそちらから引用します。
「上世山 伝宗院(曹洞宗)
所在地 緒川字天白48番地
本尊 延命地蔵菩薩(高さ二尺五寸木立像)
開山 松隠珠崖大和尚
境内地 912坪
寺宝什物 涅槃像一軸(絹本彩色の古画、天正六年(1578)から在寺、地獄絵図十四本(紙本彩色、正徳年中に地元の豪家 塚本源左衛門が寄進)
由緒 天文元年(1533)水野守隆(刈屋城主水野信近の子)の創建である。
本堂は安政5年(1858)の改築。
観音堂は延宝3年(1675)の建立で、十一面観世音・薬師如来・弘法大師を安置している。新四国八番札所。」
由緒については、尾張名所図会、尾張徇行記、尾陽雑記、東浦町史に目を通しましたが東浦町史が読みやすく纏まっていますのでそちらから引用します。
「上世山 伝宗院(曹洞宗)
所在地 緒川字天白48番地
本尊 延命地蔵菩薩(高さ二尺五寸木立像)
開山 松隠珠崖大和尚
境内地 912坪
寺宝什物 涅槃像一軸(絹本彩色の古画、天正六年(1578)から在寺、地獄絵図十四本(紙本彩色、正徳年中に地元の豪家 塚本源左衛門が寄進)
由緒 天文元年(1533)水野守隆(刈屋城主水野信近の子)の創建である。
本堂は安政5年(1858)の改築。
観音堂は延宝3年(1675)の建立で、十一面観世音・薬師如来・弘法大師を安置している。新四国八番札所。」

鐘楼門右の新四国第八番札所の石標と観音堂の全景。

堂内には弘法大師・十一面観世音・薬師如来を安置します。
写真は撮れなかったが、この堂の外陣の格子天井にも絵が書かれていましたが年代は不明です。
堂の右手に鳥居があり、参道が続いています。

観音堂後ろに秋葉堂が建てられています。

軒下の額は「秋葉三尺坊」、創建年は定かではない。
東浦町史には観音堂の他に白山社と記されていましたが、見落としたのだろう、気が付かなかった。
イベントの時には思うように見て回れないものです。

棹さして わたるおがわの でんそういん まよふわがみを のせてたまへや

この日は、傳宗院の鐘楼門前で梵字カードが配布されており、今回もゴールドカードが当たりました。
次回参加時に梵字カード台紙と引き換えられる。
どれくらいの確率か分かりませんが、我家は5割の確率で当たりが出ています。
次回参加時に梵字カード台紙と引き換えられる。
どれくらいの確率か分かりませんが、我家は5割の確率で当たりが出ています。
籤運の無い我家、運を使い果たした感がある。
台紙は一つあれば事足りるので、次回交換したらどなたかに差し上げよう。
台紙は一つあれば事足りるので、次回交換したらどなたかに差し上げよう。