前回掲載した稲荷神社から西へ150㍍・徒歩2分ほどの高台に鎮座する九番札所 浄土山 明徳寺。
今回はこちらを掲載します。

明徳寺山門から境内方向の眺め。
右手に「新四国八十八ヶ所 第九番札所」の石標と左に「十番へ一五丁」の丁石。
因みに一丁を㍍に換算すると約109㍍、街道沿いにはこうした丁石が残っているので道中の目安になります。
山門をくぐり境内に入ると、既に納経を終えた妻は次を目指す準備が整っており、本堂・弘法堂をお参りするだけとなりました。

境内から本殿と弘法堂(左)の眺め、右手が庫裏・納経所になります。
少し道草した事もあり、境内の人波も多少落ち着いた印象です。
明徳寺は浄土宗の寺院、明徳寺縁起と東浦町誌(1968)を纏めると以下のようになります。
「浄土山 明徳寺(浄土宗)
所在地 石浜字下庚中坊70番地
本尊 阿弥陀如来 (鎌倉時代の恵心僧都作)
開基 心誉秀山大和尚
境内地 916坪
安置仏 千手観音菩薩、西国三十三観音分身、水子地蔵(毎年春供養)、秘仏 歓喜天(金運と夫婦和合の守護)弁才天、庚申など
由緒
明徳2年(1391)、もと字障戸の明徳寺川畔に 法然上人の孫弟子が「明徳堂」を創建したのが当寺の発祥。
文安4年(1447)には阿弥陀十王堂が創建、その二堂を合同し文明元年(1469)、明徳寺が開創されました。
明暦3年(1657)洪水のため流失。
正徳元年(1711)十五世徹誉上人が現在の地に再建移転した。
新四国九番札所」
旧鎮座地の字障戸の明徳寺川畔とは、こちらに向かう際に明徳寺川に架かる障戸橋を渡った、東浦文化センターのあたりのようです。
どちらかと言えば細い流れの明徳寺川が、伽藍を押し流すほど洪水したという、異常気象の現在でも想像すらできません。

明徳寺の写真が二枚しかなく、細かい所を掲載できませんが、本堂前の大きな蘇鉄と手入れされた五葉松が印象に残る寺院でした。
所在地 / 知多郡東浦町石浜下庚申坊70
稲荷神社から明徳寺 / 稲荷神社から西へ150㍍・徒歩2分ほど
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