十ニ番札所 徳應山 福住寺。
半田市有脇町の高台に建つ半田市立有脇小学校の北側に鎮座する曹洞宗の寺院。
第二回の「歩いて巡拝知多四国」のゴールになります。

十一番札所安德寺から師崎街道を歩かせるルートになっており、ルート上にはこうした丁石が立てられ、歩き疲れている自分を励ます様に札所へ導いてくれます。(1丁は約100㍍)
平坦な道が続いていましたが、福住寺に近づくにつれ緩やかな勾配が現れます。
それにしても相変わらずの狭い道ばかりです。

上の地図は明治と現在の福住寺周辺の比較です。
鎮座地周辺は平坦な東側に対し等高線の込み具合を見ても、歩き疲れた足には地味に堪える立地です。

導かれるまま歩いていると十ニ番札所の石標が現れます。

見上げれば長い石段の先に本日のゴール福住寺の山門が聳えています。
上り口の右に「徳應山福住寺」の寺標とその前に小さな祠「水弘法」が安置されています。
この水弘法の下に清水が浸み出しており、その昔この清水で目を洗ったところ、見えるようになったという言い伝えがあるそうです。

福住寺では有脇城の御城印も受けられるとのこと。
ゴールまでこの石段が最後のひと踏ん張り。

最後のワンコを看取ってから10年以上、別れがつらく二度と飼わないと誓っているのだが・・・

門前の狛猫。
軽い足取りで「ゴールはここだぜ」と云わんばかりだ、養子にくるか?

全行程11.5㌔+αのゴーール!
十ニ番札所 徳應山 福住寺到着。
役目を終えたキジトラは境内に消えていった。
「歩いて巡拝知多四国」のゴールでは最寄駅が遠い所は臨時バスが運行されます。
ゴール時間を過ぎると、それもなくなり駅まで歩くことになるので要注意。

山門から境内の眺め。
正面が本堂で左に大師堂、観音堂と並び、山門横に千体地蔵を安置する地蔵堂が主な伽藍。
この日はゴールという事もあるのか、テントも張られマルシェが開かれていました。

ここはすでに半田市に属しているので、半田市誌(1971)や半田市誌宗教篇を確認したところ、福住寺についての解説にたどり着きました。
○覚書二寺内一反歩備前検除
○当寺書上二八福住寺トアリ 何レノ比歟寿ヲ住ニ改ムルヤ其訣ハナシ、境内一反歩御除地、開基ハ文翁祖光ナリ 此僧天正十壬午年二没ス
○境内に観音堂アリ 天和ノ比破壊シテ堂ヲタタミ置、本尊ハ本堂二安置セシカ安永二巳年再建セリ」
また、境内の観音堂は理由は不明ですが破壊され、安永2年(1773)に再建されたようです。


納経印も頂いて、バスに乗って帰る事にする?


時間に余裕もあり参拝していくか。
写真は北入口の地蔵堂。
「大街道地蔵堂」とも呼ばれます。
その昔、亡くなったひとりの村人弥治兵衛の霊が成仏できず彷徨っていたという。
ある時、村人の新蔵の前に現れ、自宅の床下に生前コツコツ蓄えていた金に未練があると訴え、それを聞き自宅の床下に蓄えていた3両で蓮念寺に半鐘を寄贈、弥治兵衛が徘徊していた場所に地蔵堂を建てると、霊は現れなくなったそうだ。※半田市誌地区誌篇 (亀崎地区)
この堂は昭和41年、道路拡張に伴い福住寺脇に移されたものようです。
弥治兵衛の半鐘は今も蓮念寺に吊るされ、明和5年(1768)の銘が刻まれているそうです。