前回の大街道地蔵堂の目の前に鎮座する春日神社。
今回はこちらを訪れます。

二回目の歩いて巡拝知多四国をコンプリート。
足取りは重いが、ここまで近いと参拝しない訳にもいかない。
妻には福住寺で待ってもらい一人この石段を上っていく。
写真は一ノ鳥居から石段が続く参道の眺め、福住寺より更に標高は高い。
社頭右手に「村社 春日神社」の社号標がある。

参道の先に二ノ鳥居の姿がある。
この参道の両脇には桜も植えられ、これから桜の時期を迎えると、この参道の印象も華やいだものに変わるだろう。

ニノ鳥居から広い境内の眺め。
ここに社殿があるものと思っていましたが、社殿は更にその上にあります。

ニノ鳥居の脇にあった境内マップと周辺マップ。

右手の手水舎から石段を上りきれば社殿が見えてくる。

春日社社殿が建つ境内全景、この境内だけでも十分広い。
二対の狛犬の先に入母屋瓦葺の拝殿、右に境内社、左に八幡荘や護幸庵が建てられています。
全ての建物はとても綺麗で新しい印象を受けます。

一ノ狛犬は凛々しい姿で全体のバランスが整ったもの。

拝殿前のニノ狛犬は春日神社を印象付ける個性的な姿のもの。
何れの狛犬も寄進年は見ていません。

「春日社
祭神 経津主命、天児屋根命、品陀和気命
沿革
勧請は永仁6年(1298)と伝えられる。
春日社は、はじめ旧有脇公民館敷地にあった。
昭和2年12月八幡社のあった現在地に新社殿が造営され、昭和5年10月遷宮式を実施した。
昭和51年1月、火災により社殿が消失したが、住民の強い再建希望により、鉄筋コンクリート瓦葺の本殿、拝殿、八幡荘及び木造の護幸庵を新築し、昭和53年3月遷座式を挙行した。
例祭日
従来は十月の秋祭りであった。
昭和32年から春祭りに変更され、現在は4月の第1日曜日になっている。
祭礼の余興行事として「馬駆け」が昭和34年まで行われていた。
現在は餅投げ、花火、子ども神輿などが実施されている。
令和3年3月 春日社社務所」
参考まで以下を調べたところ以下の補足情報を確認しました。
半田市誌
「永仁6年勧請の春日社と弘治元年勧請の八幡社を大正6年合祀。」
尾張志
「大明神ノ社、八幡ノ社、 山神ノ社、三社共に有脇村にあり」とあった。

拝殿額は春日社。

社殿全景。
社殿はコンクリート造り。
コンクリートは強靭で寿命が長いように感じますが、補修された木造に比べれば格段に短く、再利用も難しい、木と比較すると見た目は冷たく感じてしまうが、拝殿高欄の朱色がアクセントになり、さほど冷たい印象は受けません。
春日神社だけに鹿の姿もあります。

社殿側面。
拝殿・幣殿・本殿がひとつながりで、本殿もコンクリート造りのようです。

拝殿の鬼には神の一字、軒丸瓦など十菊紋が入ります。

拝殿右のやけどの木。
「私はなかなかった
寒い冬の夜 まっかにもえるやしろの火に 私のからだはこんなになってしまったけれど
私はなかなかった
それはまもなく村人たちが 山をきりひらき 米代やボーナスの大半をだしあって まあたらしい社をたててゆく その努力が 私の深い悲しみをこえ 私の心をうっからだ
そして人間は心のどこかのすみに 小さい努力の芽をそだてつづけてゆくならば きっと楽しい世界のくることを 私はこの目でみたからだ こんな目でここに立ちつくしている限り この村をこの村人たちをみ守りつづけてゆきたい 」
木の種類は分からないが、太い幹は縦に割れながらも成長を続けています。
昭和51年の火災の際に焼け残ったものとみえ、有脇町のシンボルツリー的な存在なんだろう。

やけどの木の左の境内社。
右の社は社名札がなく定かではないが、左脇に秋葉山と刻まれた石燈籠がある事から秋葉神社なのもしれません。

奥には春日天神と筆塚ある。

参拝を終え、石段からニノ鳥居を眺める。
有脇の高みから氏子達が住む町を見下ろすように春日神社は見守っている。
この広い境内は、祭りの時には住民が集うコミュニティーの場になっているようだ。

一ノ鳥居から東の衣浦湾方向の眺め。
朝から歩いて現在14:40、そろそろかみさんと合流し帰るとするかぁ。
参拝日 / 2025/02/15

