かみさんはこうしたものに興味がないと思っていましたが、ブルーインパルスの飛行に関して積極的に情報を集めていました。
上は過去の小牧山。
信長、家康がさまざまな仕掛けを施し、美濃攻めの拠点としました。
周囲が開けた濃尾平野に単独峰としてそびえる標高86メートルの山です。
現在の小牧山は天守は現存せず、公園として整備され、天守風のコンクリート造りの資料館が建てられています。
現在の小牧市はこの小牧山城の城下町として栄えてきました。
当初は山の南側に城下町が整備され、徐々に周囲に広がっていき、江戸時代には中山道と名古屋城下を結ぶ上街道の小牧宿として賑わいを見せたようです。
新町3西交差点からシンボルロードへ続く南北の道、上街道、一社目の屋根神はその街道沿いを東に入った小牧3丁目の細い路地脇に祀られているものです。

過去の地図を遡ってみましたが、小規模のためか記載はなく、創建時期は掴めません。
小牧市の「屋根神」から街中の小さな社について解説があったので載せておきます。
「秋葉祭の山車が本祭時に曳き回される際に、各町内で山車を止め、からくりを奉納する場所に屋根神様(軒神様・明治期には天王様ともいわれた)がある。
この屋根神様には、防火鎮守の守護神である秋葉社が祀られており、火災から町を守るために始められたと推定される秋葉祭の意義がうかがえる。
当時の家屋はほとんど藁葺きばかりで可燃性を帯び、消防器具も不十分であったため、燃えるに任せるより他はなかった。 安政4年(1857)の炎焼時間は、夜の1時ころより翌朝まで及んだほどである。 消失家屋の戸数だけであるので、これに付属建物の数を加えれば倍以上に達すると思われる。
江戸時代頃の大火は4回あり、これによって焦土と化した区域は、当時の小牧宿のほぼ7割に当たる。
この屋根神様は、横町(戒蔵院が屋根神の代わりという言い伝えがある)を除く3町に、それぞれ上・中・下の3組に1体ずつあり、現在、昔のまま瓦屋根に完全な形態で残っているのは、中町中組(萬長本店)と下之町中組(岸田家)の2体ぐらいで、改造・移築はあるもののほとんどが現存している。
屋根神様の世話は各組ごとに輪番制で行われ、祭の日には、祭提灯をかかげ、御神酒と塩米、それに海の幸山の幸をお供えする。
夕方にはかがり火をたき、お供え物を下げる。
ほとんどのところで、少なくとも正月・神明祭・秋葉祭・天王祭の年4回の世話は欠かさないが、「おかん様」と言って毎月1日・15日にお供え物を上げているところもある。中には祈る祭神・守護神が熱田神宮・津島神社などを合祀している所も見られる。」というものでした。
因みに今回掲載する二社の鎮座地小牧3丁目は解説にある上之町、下之町が小牧4丁目にあたるようです。
この社は上之町上組の社と思われ、以前は上街道沿いに鎮座していたものをこちらに遷座したようです。
しかし創建時期や軒下に祀られていたものか、秋葉神社なのか良く分かりません。
住宅が密集する細い路地に祀られた姿から恐らく秋葉神社のように思われます。
地元名古屋の屋根神さまの多くは、秋葉神社、津島神社、熱田大神など三社が祀られています。
ここ小牧城下では秋葉さん単独で祀られることが多いようです。
住宅事情の変化に伴い、軒下から降ろされたもの、もとから敷地が与えられ建てられたものなど、小牧山周辺や上街道沿いにはこうした秋葉社が複数見られます。

背の高い台座の上に祀られる板宮造りの社には社名札がなく、台座も何も刻まれていないので、地に降りた屋根神、秋葉社と言うのは個人的な推測として捉えてください。
Gマップでは祠として表記されています。
屋根神(上之町上組)
創建 / 不明
祭神 / 不明(秋葉社?)
祭礼 / 不明
所在地 / 小牧市小牧3-302
名鉄小牧線小牧駅から徒歩ルート / 駅から北西に徒歩5分ほど

次は小牧市小牧3-182のヤオカネさんの左に鎮座する屋根神です。
右の通りが上街道になります。
歩道沿いの塀の先に社を収める覆屋が高い土台の上に組まれ、通りから塀の上の社が見えるように祀られています。

上は小牧市の屋根神分布図、戒蔵院の位置から判断して、この社は上之町下組の屋根神さまと思われます。(図中の目標となる店舗名など、現状とは多少乖離あり)

塀の上に飛び出す様に建てられた覆屋、その中に納まる板宮造りの社に社名札は架けられていません。
また、過去の地図にも記されておらず、創建時期や社名、軒下に祀られていたものか定かではありません。
屋根神(上之町下組)
所在地 / 小牧市小牧3
屋根神(小牧3-302)から徒歩移動 / 南西に約200㍍、徒歩3分ほど
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線平安通から名鉄小牧線で小牧駅下車、約20分
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