小牧市小牧5丁目に鎮座する小牧神明社。
小牧市役所の東に鎮座し、中心部で大きな規模を持つ旧郷社。

上は正面に小牧山を望むシンボルロード沿いから、小牧神明社社地の眺め。
社頭はここから左に進んだ、社地南側に鳥居と蕃塀を構えています。

途中の東参道口。
ここから境内に入る事にします。

鳥居をくぐり境内東側から社殿を望む。
右側には境内社が祀られています。

境内社「山の神社」

木造蕃塀を構え、板宮造りの本殿が祀られています。

神明社社殿(左)と右が狛狐が守護する稲荷社。
この間にも境内社の金比羅社、津島神社が祀られています。

右から眺める稲荷社。
入母屋瓦葺の妻入りで一間の向拝を持つ覆殿。

一対の狛狐が守護する稲荷社覆殿正面全景。

向拝下の額には、御嶽社、天神社、秋葉社、須佐之男社、稲荷社と記されており、稲荷社に留まらず五社が祀られている。

覆殿内の五社相殿。

稲荷社の左に単独の社を持つ金比羅社が祀られています。

流造の金比羅社。


大きく枝を延ばす拝殿脇の楠。
生命力あふれる姿は、神社を守り続けてきた自然の恩恵とともに、訪れる者の心を鎮めます。
この木々はまるで、地域の歴史を静かに見守ってきた証人のようです。

神明社拝殿全景。
拝殿は平入の入母屋造りで千鳥破風が付き、左右から伸びる透塀が本殿域を取り囲んでいます。

拝殿前の狛犬。

神明社の揮毫は松井石根(1878から1948)陸軍大将によるもの。

社殿左側から見る側面全景。
神明造の本殿と幣殿、拝殿がひとつながりになるもので、立派な社殿と社地を持っていますが神職は常駐ではありません。

社殿左の境内には松尾社、御柱稲荷社が鎮座します。

松尾社。
覆屋の下に流造の本殿が祀られています。
後方の赤い玉垣の社殿が御柱稲荷社。

御柱稲荷社社頭。
朱の奉納鳥居と奉納幟が連なり、いかにも稲荷社らしい佇まいです。

御柱稲荷社。
覆屋の下には板宮造り本殿と右手に重軽石を安置する覆屋があります。
尾張名所図会後編巻の三「神明社」に目を通しましたが、これら境内社について触れられておらず詳細は分からなかった。

拝殿前の神馬像。
現在の像は二代目で先の戦争で供出され、平成19年(2007)の社殿改修の際に復元されたもの。
鞍には五三桐の紋が入ります。

神馬像前の手水舎にはながい髭の龍が清水を注いでいます。
戦争の火種が一向に絶えない現在、こうしたものが供出される事の無い情勢であって欲しい。

番塀。
延長三間の連子窓の下部は腰板壁を持つ木造番塀で、石製の控え柱が支えています。

鳥居から蕃塀方向の眺め、右手の社号標は大正6年(1917)に寄進されたもの。

小牧神明社の祭神は、天照大神で、永禄6年(1563)、織田信長が清須から小牧山城へ居城を移した際、災厄除けのために、清須にあった御園神明社を守護神としてこの地に分祀したのが創建である。
天正12年(1584)の小牧、長久手の合戦では、小牧山に布陣した織田信雄、徳川家康が崇敬したという。
江戸時代入り、尾張藩祖德川義直公がこの地に来遊した折、小牧山の東麓にある神明社を吉祥の社として、牡丹の造花数十本を下賜して子供達に持たせて歌舞させた。
後の寛文7年(1667)には二輌の山車を造り、牡丹の造花を高欄に飾り、3月16日の例祭日小牧宿の街路を曳き回すようになったが、これが小牧神明社の春祭、神明祭の起源である。
現在は、山車は一輌となったが、小牧市指定有形民俗文化財に指定されていて、春の例祭には子供達が境内に据えられた山車舞台の上で日本舞踊を披露している。
現在では、合祀された神社の祭礼も神明社を舞台として行われている。
小牧神明社の三大祭、春の神明祭の他、夏、四輌の山車が練り歩く秋葉祭(山車四輌は小牧市指定有形民俗文化財)では境内で山車に搭載された絡繰りの演技が奉納され、秋の天王南宮祭では小牧市指定無形民俗文化財「五本棒オマント奉納神事」も境内での奉納を行っている。
