前回掲載した愛宕社、社頭から一旦歩道に戻り、100㍍ほど東に小牧山頂上に続く、大手道の入口に向かいます。
今回掲載する徳川宗睦源明公墓碑は、この大手道を登りはじめたすぐ左側に参道があります。

上が公園一帯で見られる小牧山マップで小牧山の見所が記されています。
愛宕社の鎮座地は赤い星の位置、市役所の向かいの赤線が大手道です。
かつての小牧城は、北からの攻めを意識した作りで、城内に繋がる大手道は山の南側に直線的に作られています。
城と言えば、防御のために真っすぐな道はないと言っても過言ではないが、信長は南側の守りに余程自信があったのだろうか。
信長の死後、この城を更に強靭にしたのは家康で、尾張長久手の戦いでは土塁や堀、虎口などの防御施設を充実させました。
大河ドラマでも描かれていたように、岡崎に向け進軍した豊臣軍の背後を突くのに高く盛られた土塁が効果を上げたと描かれていました。

市役所の向かいにある土塁。
小牧山山麗南側にあるこの土塁の高さは約8㍍もあり、外の豊臣勢には中の動きは全く読めなかったでしょう。
こうした防御施設を家康の家臣たちは僅か5日間で作り上げたとされます。
この土塁は復元されたものですが、土塁としては日本最大級とされ、小牧山には当時の土塁も残り、天守はないものの城の遺構は多数残り、今もその発掘調査が行われています。
徳川宗睦源明公墓碑はこの土塁の内側を見渡せる大手道の左側になります。

大手道のから西に伸びる参道が墓碑へ続きます。
寄進年を見忘れましたが、墓碑に続く参道沿いには古い石灯籠が立ち並んでいます。

墓碑の右手の解説と石板。


徳川宗睦(1733~1800)は新田開発や殖産興業政策、熱田での開墾など治水工事で功績あげ、役人の不正を防止するため、代官制度の整備や藩の教育普及に努めるなど行なった。
法号は天祥院殿鑒譽峻徳源明大居士。
徳川源明公墓碑
所在地 / 小牧市堀の内1
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