前回掲載した清涼山海蔵寺。
乙川小学校西側の道筋の丁石を南に進み十八番札所光照寺へ向かいます。

上は海蔵寺から5分程の乙川北側町2-1に鎮座する香取社境内にある「西山山車保管庫」、以前訪れた際はシャッターが降ろされていました。
この日は、江戸時代から続く乙川祭りの当日。
今にも雨が降り出しそうな生憎の空模様。
保管されている天保年間(1830~1844)建造とされる西山神楽車は、明治、昭和と修理され大切に受け継がれているだけに、乙川八幡社と乙川若宮社の巡行まで降らないか天に祈る気持ちだったに違いない。

香取社から西に進み、県道261号線沿いに10分ほど南下すると左側に十八番札所光照寺の伽藍が見えてくる。この先を左にまわれば鐘楼門に続きます。

上は光照寺南側の鐘楼門の入口脇の「☞是十九番十三丁」と彫られ丁石。
1丁が約110㍍なので約1.43㌔、20分程の道のりです。
1丁が約110㍍なので約1.43㌔、20分程の道のりです。

光照寺鐘楼門。
この日はこの門の前の駐車スペースに臨時納経所が開設されていました。

境内本殿(左)と観音堂。

入母屋瓦葺の本堂と観音堂は左の渡廊で結ばれています。

観音堂としては立派な方型の二層屋根の造り。
観音堂は1808年(文化5)、十四世 覚阿是興上人の時、紀州徳川家の支援によりこの地に移転。
1811年(文化8)、廓山和尚により本堂はじめ庫裏等が建立されますが、この観音堂は塔として建てたかったようです。
当時、寺格の高くない寺に塔の建立は許されず、塔の建立を捨てきれず、当時、尾張徳川家の家老成瀬隼人正家に懇願、「ひさしをつければ塔にあらず」の言葉をもらい、観音堂の建立が許されたという。
観音堂は1808年(文化5)、十四世 覚阿是興上人の時、紀州徳川家の支援によりこの地に移転。
1811年(文化8)、廓山和尚により本堂はじめ庫裏等が建立されますが、この観音堂は塔として建てたかったようです。
当時、寺格の高くない寺に塔の建立は許されず、塔の建立を捨てきれず、当時、尾張徳川家の家老成瀬隼人正家に懇願、「ひさしをつければ塔にあらず」の言葉をもらい、観音堂の建立が許されたという。


観音堂左の「清水次郎長地蔵尊」と不明社。
清水次郎長所縁の地蔵尊とされ、以前は亀崎街道の県道沿いに安置されていたそうです。
時代の流れで居場所を失い光照寺に安置されたようです。
勝負事に御利益があるとされ勝軍地蔵とも、心願成就地蔵とも呼ばれるそうです。

おとかわの きよきながれに ほとけをうつせば むねのあかやおちなん
愛知県 知多四国巡礼 第3回:十八番札所 光照寺
宗派 / 時宗
創建 / 1342年(興国3)
建立 / 源 親房
本尊 / 阿弥陀如来、十一面観音像
所在地 / 半田市乙川高良町120
番外札所海蔵寺から光照寺徒歩ルート / 南へ約15分
参拝日 / 2025/03/15
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愛知県 知多四国巡礼 第3回:十八番札所 光照寺
宗派 / 時宗
創建 / 1342年(興国3)
建立 / 源 親房
本尊 / 阿弥陀如来、十一面観音像
所在地 / 半田市乙川高良町120
番外札所海蔵寺から光照寺徒歩ルート / 南へ約15分
参拝日 / 2025/03/15
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近くの線路沿いでは今年はじめてつくしの姿も見られました。
春の訪れを感じる桜とつくし。
しかし、季節は駆け足で夏へと向かっているようだ。