愛知県 知多四国巡礼 第4回:四十九番札所 護国山 吉祥寺

前回掲載した良参寺山門から右に進み、三叉路を右に進み目の前の山中に向かいます。
次の目的地四十九番札所の吉祥寺までは、山中にある溜池沿いに作られた古道を進みます。
普通に国道沿いを冨具崎に歩けば距離にして約2㌔、30分程の道のりです。

小野浦や冨具崎は馴染みのある土地柄ですが、一歩中に入ればこんな古道があったのかと思い知らされる。
この道は峠を越えて山間にある溜池沿いに冨具崎に通じており、車は勿論、こうしたイベントの際はペースの違う参加者を抜く事すらできない細い道が続いています。
道の脇には写真のような丁石もあり、古くは小野浦と冨具崎を結ぶ主要な道だったことがわかります。
今では巡礼者以外は通らない道と見えて、一部荒れた部分もあります。
音もなく突然足元を通り過ぎる蛇が大嫌いな自分、行列をなして歩いているので一安心。
これが一人なら好んで歩かないだろう。

峠を越えると幾つかの溜池があり、北垂れの山の斜面に休耕田が見られます。
以前はこうした僅かな土地すら田畑として開墾し、それを潤すため溜池が作られる。
定年後小さな家庭菜園で野菜を作るようになって、土の有難さと手入れの大切さがわかるようになる。
一度荒れてしまうとPCや電化製品のようにリセットしてすぐには戻らない
米不足の昨今、こうした光景を見ると考えさせられるものがある。

一山超えて野間の集落へ、野間海岸に注ぐ冨具埼川が作ったであろう扇状地に吉祥寺は鎮座地します。
社頭に「新四国第四十九番、福住毘沙門天王 霊場」と刻まれた石柱があり、そこから先の山門に参道が伸びています。

参道から伽藍全景。
左手には方形屋根の大師堂、そして毘沙門堂、本堂が主な建物として並ぶ。
薬医門の左に吉祥寺沿革が立てられています。

沿革の内容は以下。
曹洞宗護国山吉祥寺 沿革
創立慶長十年。
 開基関嶺玄通首座。
本尊釈迦如来
 別堂に秘仏毘沙門天王。
知多四国第四十九番札所弘法大師
 往古源平合戦の落人が、当時部落の屋敷という所に、毘沙門天王を、背負って隠れ住んでいたという。
落人の姓を七名字という。
中村、片岡、千賀、榊原、奥村、森岡、森田その子孫が、今も受け継がれている。
 ある信者により、七武士をまつるために、毘沙門天王の命により、諸願成就塔が建立された。
その塔をさすって拝めば、ご利益があるという。」

尾張徇行記 第6巻(海西郡・知多郡之部)の吉祥寺では以下のように記されていました。
「吉祥寺、府志曰、在細目村、号護国山、曹洞宗、属中郷村勢雲寺、
〇寺内有昆沙門像与広目昆沙門同作、然後人彫刻也、里老有説、附会不足信也、
〇寺内年貢地卜覚書ニアリ
〇当寺書上ニ境内七畝十二歩年貢地、此寺草創ノ由来ハ不知」とあった。

尾張徇行記には「二体の像は同一作者とみられるが不明、草創の由来不明」とあるが、ここでは沿革の内容を尊重しよう。

切妻瓦葺の薬医門の正面に本堂の山号額が見えている。

山号は「護国山」

堂内。
本尊は釈迦如来

夢違観音。

法隆寺の尊像を復刻した像で、悪夢を見ても、良い夢に変えてくれる観音様という。

本堂右の成就塔から本堂、毘沙門堂太子堂の眺め。
成就塔は、毘沙門天のお告げから立てられ、病や願い事のある方はこの塔をさすってお願いする。

本堂の隣りの毘沙門堂、昭和に入り再建され、扁額は毘沙門天王。

本尊は秘仏毘沙門天王。

大師堂。
こちらも昭和に入って再建されたもので、方形瓦葺の堂。

宝形屋根の頂点には宝珠の露盤。
拝所側の屋根に唐破風向拝が付けられています。

大師堂の格子天井には地蔵や草花の天井絵が描かれています。

四十九番太子堂内部。
大師像の他に観音様らしき像が数体安置されている。

なにごとも きちじょうなれと いのるみは やがてさちよき いんえんぞこん

愛知県 知多四国巡礼 第4回:四十九番札所 護国山 吉祥寺
宗派 / 曹洞宗
開基 / 関嶺玄通首座
開創 / 慶長10年(1605年)
​本尊 / 釈迦如来
所在地 / 知多郡美浜町野間桑名前24
参拝日 / 2025/04/19
良参寺から吉祥寺徒歩ルート / ​​​​北へ約2㌔、約20分
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