瑞境寺から美浜町野間松下に鎮座する五十二番番札所密蔵院は、北へ300㍍程の位置になります。

田んぼ沿いに北に進むと、その先に鮮やかな朱の門を構えた密蔵院が見えてきます。

白壁と朱の薬医門が印象的な五十二番札所密蔵院の伽藍全景。

密蔵院 沿革
慶長16年(1611)、大御堂寺一山は徳川家康公より250石を受け、そのうち当院は25石を拝領した。
堂宇は度々兵火に焼かれ、本堂は慶安年間(1648年頃)に再建された。
堂宇は度々兵火に焼かれ、本堂は慶安年間(1648年頃)に再建された。
江戸時代の宝暦年間(1751年頃)、現在の「密蔵院」と改称した。
現在の本堂、弘法堂、山門は平成10年(1998)に新築された。
現在の本堂、弘法堂、山門は平成10年(1998)に新築された。

朱の薬医門から境内に入った先の手水鉢。

境内右から本堂、太子堂全景。

本堂に掲げられている「鶴林山」の山号額と、堂内に火炎光背のシルエットの不動明王の眺め。
寺紋は二つの輪が重なる輪違いと呼ばれるもの。

太子堂。
厨子の中の弘法大師の姿がうす暗い堂内に浮き上がっている。

十王像。
愛嬌のある表情の像は製作年代は不明、美浜町文化財一覧には名がなかった。

門正面の石段の脇には鎮守社が祀られ、石段の先には舵取り観音へ続いています。

石段下から仰ぎ見る「舵取り観音堂」。
右手には一艘の船を収めた覆屋と左手に役行者の祠が建てられています。

観音堂内の眺め。
右膝を立てて坐り頬杖をつく如意輪観音の姿が見られます、本尊の舵取り観音はその奥に安置されているのだろう。


右手に「かじとり観音昭和霊験記」と一艘の木造救命艇。

かじとり観音昭和霊験記。
「野間の里は千石船の昔より船と共に栄えてきた。
明治以後もこの伝統に継承され、数多くの船長や高級船員が輩出した。
これらの船員の生命の安全をお護りしたのが、当山にお祭りしてある海上出現の如意輪観音様であった。
「野間の里は千石船の昔より船と共に栄えてきた。
明治以後もこの伝統に継承され、数多くの船長や高級船員が輩出した。
これらの船員の生命の安全をお護りしたのが、当山にお祭りしてある海上出現の如意輪観音様であった。
昼夜の別なく参詣があり、そのため赤門は一度として閉じられる事はなかった。
日本本土まで一千キロメートル、観音様の信者であった船長を始め乗組員たちは、果てしない洋上で「南無観音菩薩」と唱えながら必死に漕いだ。
実に三十数日間の漂流した。
観音様のお加護があって、日本近海を北上している強い黒潮の流れを突破し、狭い伊勢湾の入口へと見事に入った。
実に三十数日間の漂流した。
観音様のお加護があって、日本近海を北上している強い黒潮の流れを突破し、狭い伊勢湾の入口へと見事に入った。
更に不思議なことに、船長の家があった野間の沖で、一昼夜も漂っていた。
仮死状態で救助された七名は、出来る限りの手当を受けたが、一名は間もなく死亡した。
他の六名と話せるようになったのは、救助されてから三日目であった。
他の六名と話せるようになったのは、救助されてから三日目であった。
戦時中のことで、この信じ難い奇跡も限られた者だけが知るのみで公表されないまま終戦を迎え、今日に至ったのでここに霊験記を記す。
昭和47年11月
生存者
船長 吉田富次郎
船長 吉田富次郎
乗組員 原口清見・盛口哲雄・小西哲一・倉田良夫・森川栄一・上床哲夫

愛知県 知多四国巡礼 第4回:五十二番札所 鶴林山 密蔵院
宗派 / 真言宗
創建 / 建久元年(1190)
開基 / 源頼朝
本尊 / 不動明王
境内社 / 稲荷社
所在地 / 知多郡美浜町野間松下105
参拝日 / 2025/04/19
瑞境寺から密蔵院徒歩ルート / 瑞境寺から北へ300㍍、約5分
宗派 / 真言宗
創建 / 建久元年(1190)
開基 / 源頼朝
本尊 / 不動明王
境内社 / 稲荷社
所在地 / 知多郡美浜町野間松下105
参拝日 / 2025/04/19
瑞境寺から密蔵院徒歩ルート / 瑞境寺から北へ300㍍、約5分
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