第4回歩いて巡拝知多四国も今回の五十七番札所報恩寺でゴールとなります。
法山寺から報恩寺へは、門前から野間駅方向に進み、名鉄知多新線の高架をくぐり、右方向の日本福祉大学キャンパス方向の、距離2.1㌔、約30分程の奥田会下前に鎮座します。

県道275号線を右に進み、再び名鉄知多新線をくぐると、目の前に一面の田んぼが広がっています。
左手の小高い岡に報恩寺の伽藍が見えてきます。
報恩寺へは名鉄知多新線沿いの道を進みます。

小高い岡の南斜面に報恩寺境内へ続く参道があります。
参道入口右側に「曹洞宗 報恩禅寺」の寺標、左に「知多四国五十七番」の石標が立てられています。
こちらへは5年ほど前、コロナが流行し始めた頃、四国巡礼で訪れたかみさんを車で送り迎えし、その際に参拝したことがあり、今回が二度目の参拝になります。

参道から先の境内の伽藍は、正面の本堂と右手の庫裏、左の太師堂、そこから西に鎮守社の秋葉堂がある。
参道左側の報恩寺沿革は以下内容。
「乳寶山報恩寺は、御本尊を西方如来(阿弥陀如来)。
沿革にある大己貴神社はここから西の、徒歩10分程の丘の上に鎮座します、そこから北と云うと常滑街道沿いの小学校あたりだろうか?

入母屋瓦葺の本堂は軒先に向け綺麗な曲線を描いています。
源義朝の乳母で、鎌田正清の母が正清の菩提を弔うために建立したとされる報恩寺。
報恩寺について尾張志、尾張徇行記は以下のように残しています。
【尾張志知多郡報恩寺】
南奥田村にありて乳竇山と号し常滑村天澤院の末寺なり。
はじめ鎌田兵衛尉政清が乳母乳竇貞哺大禪定尼の建立にて真言宗なりしを、永正十二年(1515)住僧雲關當宗に改めし寺伝にいへり、凡大居士大禪定尼等の法諱の大文字は諸侯といへども小錄なるは遠慮あり、鎌田が乳母などにかかる稱は有ましく、あやしき傳へなり、されども東鑑に野間報恩寺と見えたれば、古き寺なる事はうたがひなし」
【尾張徇行記】
○覚書二寺内二反六畝五步備前換除外松林一町前々除
〇当寺書上二境内松林一町二反六畝五歩御除地、此寺草創ノ由来寺伝失シテ不伝中與開山雲閣和尚永正十一年戌五月十五日終
○捲之雲関改曹洞宗翌年ニアリ府志誤ナラン」

本堂の山号額と寺号額。

本尊の西方如来はあまり聞きなれないけれど、知多郡史には西方の極楽浄土を開いた「阿弥陀」と記されています。

太師堂は、方形屋根に唐破風の向拝を持つ建物です。

太師堂内。
左の間に弘法大師が一夜にして彫り上げた一夜彫観音、中央の間に弘法大師、右の金色の厨子には薬師如来尊、右の間には持経大観音をお祀りする。

太子堂から西の参道を進んだ先の秋葉堂、祭神は秋葉三尺坊権現。

げんとうのにせのあんらくみだにょらい こころおくたの ほうおんのてら

報恩寺の参拝を終え、名鉄知多新線の高架をくぐり、線路西側から雑草が茂る細い道を名鉄知多新線知多奥田に向かいました。
これから雑草が勢いを増すこの時期、大己貴神社経由で向かった方が蛇に脅かされる心配はないかもしれない。報恩寺から知多奥田駅まで約10分、ルートはこちら
内海駅からスタートし、九つの札所を巡り、ゴールの知多奥田駅までは約10.5㌔。
戦国時代の史跡を巡るコースでもありました。
愛知県 知多四国巡礼 第4回:五十七番札所 乳竇山 報恩寺
宗派 / 曹洞宗
開基 / 報恩寺殿乳竇貞哺大禅定尼
創建 / 文治元年(1185年)
開山 / 雲関珠崇
本尊 / 西方如来(阿弥陀如来)
所在地 / 知多郡美浜町奥田会下前39番
参拝日 / 2025/04/19
法山寺から報恩寺徒歩ルート / 法山寺から北へ2.1km、約30分
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