岩倉市神野町 立野天神

岩倉市神野町鎮座「立野天神」

以前掲載した中野津島神社、社頭前の岩倉街道を500㍍ほど北に向かい、そこで右に入り150㍍ほど先の岩倉北幼稚園方向に向かいます。

道路右側に写真の神野会館が見えてくれば立野天神です。

上は大正9年とほぼ現在の鎮座地周辺です。
五条川左岸の八剱と右岸の神野の集落があり、立野天神は神野集落の南外れの田畑の中に位置します。
地図上に鳥居は記されていませんが、境内には文久元年(1861)の寄進物があり、外観では判断できない歴史があるようです。

東側の県道157号線から見る立野天神全景。
社地北側に岩倉市消防団第一分団車庫、南側に岩倉北幼稚園、西側は神野会館と、周囲を囲まれており多少窮屈そうに見えます。
社地は南向きで、拝殿と本殿が主な建物で、県道側に社頭に続く参道があります。

立野天神の社標が立つ社頭から境内の眺め。
境内には由緒、沿革がなく、愛知県神社庁から調べてみましたが、「岩倉」地内には住所・社名ともに登録はみられなかった。

1955年に出版された岩倉町誌の熊野社に立野天神について記されていました。
「熊野社
熊野社は大宇神野字又市277番地にあって、境内は105坪「寛文覚書」に「権現社、社内年貢地」とあり、「徇行記」には「庄屋書上熊野権現社内5畝20步年貢地、天保12年村地図に「6畝27步村除地」と見えている。
祭神は伊弉冉命で、創立は文治元年(1185)と伝えられている。
祭日はもと旧曆9月9日であったが、いまは新曆10月15日、氏子は70戸である。
 
境内社は、『徇行記』に「境内天王社アリ」とあり、 今も祀ってある。
昭和27年から字平久田356番地にある立野社が飛地境内社となった。
立野社は『張州府志』に「立野天神詞、在神野村、延喜神明帳日、丹羽郡立野神社、本国帳目、従三位立野天神、集説曰、高雄荘神野村、今按神野村属稲置在疑高雄莊上野村天神社是殿、不得而考之。」とある社で、天保12年の村地図では「1畝5歩村除地」となっている。
棟札はどうしたわけか一枚も残されていない。」

社頭から社殿の眺め。
参道の右手の古い社号標は「式内従三位立野天神」、左側常夜灯の竿には「式内立野神社」と刻まれています。

参道右の手水鉢、古そうですが寄進年を見忘れました。

「天神」と記された社号標(右)の元号文久元年(1861)。
「神社」と記された常夜灯の元号文久3年(1863)とあります。
江戸時代末期のこの頃に立野天神から立野神社に社名が変わっているようです。

それが、再び立野天神になったのがいつごろか、明治なのか、飛地境内社となった昭和なのか分からなかった。
岩倉町史の祭神伊弉冉命、創立文治元年(1185)は熊野社を指すもので、立野天神の棟札は残っていないので、創建時期や祭神は不明ですが、天神とあることからも祭神は菅原道真かと思われます。

拝殿は瓦葺の切妻造で、四方が吹き抜けとなっており、鬼瓦には天の文字が入れられています。

写真のように拝殿の格子天井には草花の絵が施されています。

昭和27年(1952)に熊野社の飛地境内社とされた立野天神。
覆屋の軒丸瓦に五三の桐紋が入る、その下に板宮造の本殿が祀られています。

ここまで狛犬をみなかったが、本殿前に可愛いのが構えていましたが、天神さまと所縁のあるものは見られなかった。

立野天神
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / ・・・
参拝日 / 2025/05/01
所在地 / 岩倉市神野町平久田356
中野津島神社から立野天神 / ​北へ約0.5km、約6分
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