徳正寺門前から南に向かい、次の二十五番札所を目指します。
コースマップでは国道247号線を南下するのですが、交通量も多いため国道西側の「みそ蔵の小幹」を南下していきました。

細い路地が続く武豊町里中46の交差点角に「秋葉神社」が鎮座していました。
神社は文政年間創業の味噌・溜の老舗醸造元伊藤商店の北角に祀られています。
この辺りにくると、味噌を熟成する独特の香りが漂ってきます。
鎮座地を明治の地図を見てみると、当時の大足集落の中心に徳正寺があり、古くからの醸造元が軒を連ねる集落の南外れに位置しています。
因みに大足(おおたり)の由来は、知多半島の山々の東側を大垂(おおたり)と呼んだことにはじまるようで、
東垂のこの辺りは、国道の東が臨海工業地として埋め立てられ、海岸線も遠くなりましたが、昭和の初めごろまでは、国道のすぐ先に海岸線が迫っていました。
神社は、交差点の角に東向きに鳥居を構え、玉垣で囲われた基壇の上に小さな社が祀られています。
私たちは写真の交差点を右に進んで南蔵の前を左に進んでいきました。

秋葉神社正面全景。
社標はなく木造鳥居の束にも社名を示すものはありません。

近づいて玉垣を良く見ると「秋葉神社」と記されており社名までは分かりました。
いつ頃祀られたのか少し調べてみましたが、年代までは分からなかった。
この里中の町内には、こうした規模の津島神社や秋葉神社が多く、集落や商店の除災として祀られていったようです。
秋葉神社
所在地 / 武豊町里中46

神社のある交差点を右に進み、伊藤商店の裏側の通りに向かいます。

道は二手に分かれるので十九丁の丁石を左に進み南下します。
ここから約2㌔先が二十五番札所圓観寺です。

黒塗りの倉が連なる「みそ蔵の小径」と呼ばれる路地を進んでいきます。

道路脇の倉の扉は一部開放され、年季の入った味噌樽がみられます。
酒樽もそうですが、こうした樽を作る職人も年々減少し、木から金属に移り変わってきているようです。

十九丁の分岐から路地を更に南下すると17丁、16丁と丁石が現れます・・・十八丁は見落としたようです。
道はこの先の住宅街に続き、少しすると東大高池田地区に入り、周囲の視界も広がり、右手に名鉄河和線の架線と前方の田畑の先にこんもりとした森が現れます。
この森は知里付神社の社叢、社叢の西側から脇参道があり神社に立ち寄ってみました。
しかし社叢の西側から境内に入ったことがなく、社殿が見えてくるまで、そこが知立神社である事すら分からない状態でした。

写真の二つの鳥居が並ぶ姿を見て、なんだか過去に訪れたことがあるような・・・。
ここは浦島太郎伝説の伝わる神社で、太郎が持ち帰った玉手箱を安置する知里付神社です。

境内西外れの秋葉神社。

秋葉神社本殿。

東隣は熊野神社。

熊野神社から右手の境内社と知里付神社の本殿の眺め。
この神社は、大きな社叢の中に南向きに社殿が建てられ、社殿左横に境内社が整然と祀られています。
過去の記事を検索すると前回訪れたのは今から6年前、境内は当時の印象と全く変わってませんでした。

本殿左の境内社。
神明社、八幡社、山之神社、稲荷社、春日社、津島社。

流れ造りの本殿。

知里付神社社殿全景。
切妻瓦葺の平入拝殿の先に幣殿と流造の本殿が連なるものです。
「この社は、垂仁天皇26年菊月(紀元前4年)、少彦名命を祀って創建され、天暦9年(955)に北野天満天神を相殿として合祀されたと伝えられている。
社宝の「あけずの箱」は浦島太郎が竜宮から帰郷するとき乙姫から贈られたもので、滅多な事では開けられず中身は不明という。
古老によると、明治時代干ばつの年、宮司がこの箱を浦之島の沖に船で運び出し、祈祷を捧げ箱のふたを払うと、遥か彼方に雨雲が浮かび大雨が降ったという。」
あの時も感じた事ですが、はじまりが紀元前、浦島太郎伝説・・・。
境内には、天長2年(825)にこの地に戻って来た浦島太郎を祀った浦島神社もある。
気が遠くなるような歴史を誇る神社で、この地には、古くから古老により浦島太郎伝説が語り継がれ、伝説で片付けられない地名や神社なども残っています。

浦島神社。
たけとよ知恵袋には浦島伝説や武豊昔話として面白い話が掲載されています。
信じるか否かはあなた次第です。
また、知里付神社について以下のように紹介されていました。
「社伝によれば、垂仁天皇二十六年菊月に少彦(スクナヒコナ)命名(ノミコト)を祀って創建され、天暦九(九九五)年に北野天満天神を合祀したと記されている。
昔は、雉鯉鮒明神と記され、伊勢神宮の贄殿(にえどの)であったことがわかる。
別曽池から酉首池に至る大小八つの池が水路で結ばれ、ここで水揚げされた魚は、この社に供えられた、依綱氏の手で運ばれていた。
後、亀山天皇から従一位の神階が贈られ、屋根瓦の紋も菊花で、昭和十九年に郷社に列せられている。
大鳥居寄進前は、海上通行の船は、社前で帆を下し礼拝したといわれている。」

手水鉢には天保13年(1843)寄進の文字が刻まれています。

境内南側から社標と鳥居、社殿の眺め。

鳥居から長い参道を南に進むと、見覚えのある正参道入口に至ります。
ここから圓観寺へは約1km、15分程南下します。
愛知県 知多四国巡礼 第5回(後開催):知里付神社
創建 / BC4年(社伝)
祭神 / 少彦名命、菅原天神
境内社 / 浦島神社、秋葉神社、熊野神社、山神社、稲荷社、春日社、津島社、神明社、八幡社
所在地 / 知多郡武豊町東大高池田34
徳正寺から知里付神社 / 門前から南へ1.1Km㍍ほど移動時間15分ほど
参拝日 / 2025/05/23
・愛知県 知多四国巡礼 第5回(後開催):二十三番札 意龍山 蓮花院
・愛知県 知多四国巡礼 第5回(後開催):武雄神社
・愛知県 知多四国巡礼 第5回(後開催):武豊停車場跡地と不明社
過去記事