愛知県 知多四国巡礼 第5回(後開催):白山神社

知里付神社から25番札所円観寺までは、田畑が広がる一帯を名鉄河和線沿いに1㌔ほど南下した名鉄富貴駅」方向に向かいます。

田植えを終えたばかりの田圃の先を赤い電車が通り過ぎていきます。

田圃の中をまっすぐ続く道を、住宅地の前の交差点で右に曲がり、踏切を越えた先の森が25番札所円観寺です。
知里付神社からの移動時間は15分もあれば辿り着けます。


白山神社
円観寺の東に隣接する神社で、小高い岡の杜の中に鎮座します。
田園風景を見下ろす高みは、室町時代、時の長尾城主岩田氏が築いた富貴城跡。
戦国時代に入り戸田法雲が城主となり、城北の東大高字光明寺付近に館を建てたので大高殿とも呼ばれ、古書には東大高城として記録が残ります。
城の規模は不明ですが、名残は、歩いてきた田圃のあたりを東門、富貴駅の東側は市場、北側には外堀として地名に残っており、一帯が城下であったようです。

この白山神社と隣の円観寺はこの富貴城跡に鎮座しています。
社頭は小高い岡の南側に「白山神社」の社標があり、岡の手前に鳥居と手水舎を構え、その先から石段が上に伸びています。

社頭と杜の眺め。
右手の路地沿いに社叢が奥へ続いています。

鳥居正面から境内の眺め。
石段の先に社殿が見え、岡そのものの高さはさほどではないようです。
社頭には「愛知県指定天然記念物 白山社のクロガネモチ」の石標と解説がありますが、樹そのものが立ち枯れてしまい、現在は存在せず、指定も解除されています。

石段中ほどに一対の狛犬が安置されていますが、常夜灯含めて倒壊防止対策が施されていました。

境内右側から社殿と境内社の眺め。
境内は竹の多い社叢が囲んでいます。

境内社
右から山乃神社(祭神 大山祇神)、秋葉社(祭神 加具土火神)、天満宮・多賀社の相殿の三社が祀られています。

白山神社拝殿。
入母屋瓦葺の平入拝殿で、普段は戸板が入れられていますが、祭礼時など戸板は外され拝殿内は開放的な印象になるのでしょう。

白山神社境内には由緒・沿革は見られず、尾張徇行記 第6巻 (海西郡・知多郡之部)の白山神社記述は以下。
「〇円観寺書上 三白山三社、先年、ハ同村ノ支邑・市場ニアリテ、前々御除地八除地八反歩ノ所ナリシカイツノ比カ当寺境内へ社ヲ遷座し、其旧跡八反歩ハ百姓宅地ニ借りオキ、年貢米ハ当寺へ納メ来レリ。〇神社ノ執事覚書ノ比トハ大ニ沿革ス。

一 覚書後ノ堂社庄屋書上如左
 十王堂境内廿步村除
〇三本木ノ内不動堂役行者秋葉社 境内一反九畝步村除
〇小桜ノ内石神社内東西四間半南北四間年貢地」

現在の圓観寺は、記録では円観寺として記されます。

白山三社は、以前は同村の支村である市場に鎮座していたが、ある時期から円観寺境内に社殿が移され、円観寺住職が社僧を務めてきた。
それまで神社があった市場の土地は百姓たちの宅地として貸し出され、年貢米は円観寺に納められてきました。
また、円観寺には白山社の慶長12年の棟札の記録が残るようで、創建時期は不明ですが安土桃山時代から江戸時代初期に遷座されたようです。
祭神は愛知県神社庁によると菊理媛命とありました。
文中に白山三社とあることから伊弉諾尊伊弉冉尊の二神も祀られているかもしれません。

拝殿左から本殿方向の眺め。
拝殿から幣殿を経て鞘殿につながっているようで、詳細は猫に聞くしかなさそうです。

本殿域左の境内に富貴橋と刻まれた親柱が立てられ、社叢の竹藪の中に道ができているようです。
小さな尾根または土塁の高まりに沿って道があるようですが、少し足を踏み入れたところで嫌な予感がして引き返し、妻の待つ圓観寺へと戻りました。

愛知県 知多四国巡礼 第5回(後開催):白山神社
創建 / 不明
祭神 / 菊理媛命
境内社 / 山乃神社、秋葉社天満宮・多賀社
氏子域 / 武豊町富貴、竜宮
例祭 / 4月第1(土)日曜日
所在地 / 知多郡武豊町冨貴郷北101
知里付神社から白山神社 / ​門前から南へ1.1Km㍍ほど​​​移動時間15分ほど​​
参拝日 / 2025/05/23

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