愛知県 知多四国巡礼 第5回(後開催):布土神明神社

圓観寺から田園地帯を走る名鉄河和線の西沿いを、約3km、時間にして約40分ほど歩く。 ここまで歩いてきた線路沿いの道は、正面でいかにも心細い道となるため、そこで右折し、すぐに左に進んで正面の森に向けて歩いて行くと、第5回「歩いて巡拝・知多四国」のゴール、番外札所の達磨山・葦航寺も近い。

森沿いに坂を下っていくと、木立の中に神社の姿が見えてくる。
坂を下り切ると正面には田んぼが広がり、三叉路となる。
そこを左に進めば、葦航寺まではあと2〜3分ほどで辿り着く。
森を境に、それまでの武豊町から美浜町布土地内へと入ります。
時刻は15時。ここで少し寄り道をして、布土神明神社へ立ち寄ってみよう。
 
写真は、布土神明神社の社頭全景。
道は神明神社の社標の脇へと繋がっており、その隣が社頭です。
一の鳥居からは、石段が杜の中へと続いており、途中にもいくつかの鳥居の姿が見られます。

写真は、ニノ鳥居(1943)から社頭を望んだもの。 正面には田植えを終えた田圃が広がり、左手には名鉄河和線の土手が南へと続いている。

 
布土神明神社の祭礼について調べてみると、毎年4月の第一日曜日に「布土祭」が催され、近隣の平田、上村、大池の各組から三両の山車が曳き廻されるという。
山車は各地区を巡った後、神明神社に集結し、そこでからくり人形芝居と三番叟が奉納され、さらに、神明神社の西に鎮座する津島神社の広場まで曳行されるとのこと。
鳥居前の広場は、こうした山車の勢揃いの場として設けられたのかもしれない。

三ノ鳥居から社殿を望む。
鳥居前に一対の狛犬が安置されていますが寄進年は見忘れました。

社殿は、正面の拝殿と左手の社務所が主な建物で、石段の右側には「村社 神明神社」の社号標が立てられている。
本殿の左には御嶽社が、右には七社の境内社が祀られていました。

布土神明神社について、美浜町誌(1983)の神明神社の紹介は以下内容でした。
神明神社(布土村・11級社・ 旧指定村社) 。
当神社は、神明宮と称し、慶安元年(1648)社殿修繕の棟札がある。
明治3年(1870)、神明社と社号訂正。
明治42年神明神社と社号訂正許可。」
祭神は豊受姫命を祀ります。
 
明治までは「神明宮」と称されていたことから、社頭の社号標や鳥居の寄進年がいずれも昭和期である点から、当初はそれほど古くない神社かと思っていたが、棟札の存在を踏まえると、その起源は安土桃山時代、あるいはそれ以前に遡る可能性もある。
境内のどこかに、かつての「神明宮」と刻まれた古い社号標が残されていたのかもしれない。

拝殿は、入母屋造・瓦葺の平入形式で建てられており、拝殿前には一対の狛犬が鎮座している。

この狛犬は全体に黒ずんでおり、風化の痕跡からも時代を感じさせるものですが、たしか昭和初期の寄進であったと記憶しています。

扁額は「神明神社」。

拝殿右側の境内社

鳥居正面に位置する鞘殿は秋葉社で、右手には山之神社が祀られています。
江戸時代のこのあたりでは、各村ごとに「山の神」を祀る社が点在しており、農作業や山の安全を祈る身近な信仰の対象として崇敬を集めていたようです。
しかし、これらの社を支える講員も時代と共に減少し、やがて地域の氏神に合祀されたり、あるいは廃社となった社も多く、数は次第に少なくなっています。

秋葉社の左の5社。
右から金刀比羅社、津島社、伊勢社、多賀社、御鍬社。

布土神明神社本殿は鰹木4本、内削ぎの千木が載せられた神明造。
この本殿の左側の境内に御嶽社がありましたが撮り忘れていました。

拝殿前から三ノ鳥居(1954)と社頭の眺め。
さて、ゴールの葦航寺を目指すか。

愛知県 知多四国巡礼 第5回(後開催):布土神明神社
創建 / 不明 (慶安元年 1648西暦の棟札)
祭神 / 豊受姫命
境内社 / 秋葉社、山之神社、金刀比羅社、津島社、伊勢社、多賀社、御鍬社、御嶽社
氏子域 / 美浜町布土
例祭 / 4月第1日曜日
所在地 / 知多郡美浜町布土平井39
圓観寺から神明神社 / ​圓観寺から名鉄河和線沿いに2.9Km南下・約40分ほど
参拝日 / 2025/05/23
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