八剱社。
前回掲載した七面山古墳から西に向かい、五条川を越え、石仏町往還東南地内に鎮座する神社です。
名鉄犬山線「石仏駅」からだと東に1分ほど先に位置します。

八剱社社頭全景。
右に八剱社(1929)の社標が立てられ、石柱門(1927)の先に神明鳥居を構えています。
境内は鳥居の先から左に社殿が広がります。

社頭付近の八剱社年中行事。

境内左の社殿を望む。
左手の手水舎と右手の拝殿と祭文殿、本殿が主な建物になります。

八剱社の角が立派な龍口。

鳥居から社殿の眺め。
石造蕃塀の先に二対の狛犬が拝殿前を守護しています。
狛犬の間に立つ一対の常夜灯は大正初期の寄進。

二対の狛犬。
手前のものは随分黒ずみ、年季の入り方は奥の狛犬(1989)とは年代が違うと思われますが、黒ずんだ台座の寄進年は分からなかった。

拝殿額は「八劔社」で、その下に龍の彫飾りが施されています。

妻壁の獅子の彫飾りも見事なものです、右の獅子の背面に鱗のようなものが見えるが正体は分からなかった。

拝殿から本殿域の眺め。
拝殿から続く渡廊が祭文殿へと連なっています。
祭神は須佐之男命を祀り、家内安全・無病息災・五穀豊穣の御利益がある。
岩倉町史(1955)では当社について以下のように記録されていました。
『寛文覚書』に「社内壱反六畝廿六歩前々除」天保12年村地図に「村除一反三畝八歩」とある。
岩倉尋常高等小学校の記録には万治元年(1658) 9月1日再建の棟札があったことを記していたけれども、いまは見あたらない。
例祭はもとは九月九日、現在は新曆10月16日、氏子は六十戸。
現本殿は昭和2年旧9月8日改造のものである。
明治24年、明治31年、大正元年、昭和2年の棟札が残る。」
とあった。
また同誌の神社年代表は万治元年(1658)としている。

拝殿は四方吹き抜けの切妻瓦葺で内部には多くの奉納絵馬が架けられています。

祭文殿は重なるような屋根構造で、本殿域を囲む透塀が両脇の間に結ばれています。

本殿域後方から本殿、祭文殿の全景。
本殿は流造とみられますが、高い石垣と透塀のため本殿はなかなか見通せません。
この辺りでは、こうした蕃塀と拝殿、渡廊から祭文殿・本殿へ続く配置を良く見かけます。
コンパクトに纏めながら、風格を感じさせるもので個人的には好きな神社です。