小牧市三ツ渕「天神社」

天神社。
先回の金毘羅大権現御嶽神社の300㍍ほど東の小牧市三ツ渕468に鎮座します。
今回はその天神社についてご紹介します。

金毘羅大権現御嶽神社から北側の路地を東に向かうと写真の潜龍山専立寺の山門前に至ります。
ここで山門の写真を撮っていた際、住職に声を掛けて頂き、少しお話を伺いました。

「この辺りは大正時代の創建の寺が多く、専立寺も大正時代に創建(1923)されたお寺で、時に山門や本堂の木鼻の写真を撮りに訪れる方がある。」
とのお話で、山門や本堂の木鼻の意匠は手の込んだものでした。

ここから三叉路を右手に進むと左側に天神社の社頭があります。

天神社社頭全景。
この社頭の向かいの道路の南側も天神社参道です。
100㍍ほど先の参道口まで行きましたが、鳥居や社標は立てられていなかった。
社頭は常夜灯と右手には観音堂があり、左に三角形の自然石の碑が建てられていますが、社標は見当たりません。




社頭右の観音堂

内部には一体の馬頭観音坐像が安置されています。
年代は不明ですが光背の右には「右正眼寺道」、左に「たつみなごや道」と刻まれています。
正眼寺は、現在の名神高速を越えた北側の三ツ渕原新田に鎮座する曹洞宗の寺院で、元禄2年(1689)に遷ってきた寺院で、そこへの道標の役割を持って祀られたものでしょう。

左側の石碑。
碑文には「貮〇三歩」と刻まれているように見えましたが、全文は読み取れなかった。
大正8年(1919)に奉納されたものです。

社殿全景。
瓦葺切妻造で平入のもので、手前に一対の狛犬が安置されています。

子持ち、毬持ちの狛犬

拝殿全景。
格子戸の先に本殿のシルエットが浮かんでいます。
右手の献灯台は大正時代に奉納されたものでした。

三ツ渕468の天神社について東春日井郡誌と小牧市史から調べてみました。
東春日井郡誌(1987)の旧村社に三ツ渕74の天神社は記録されていたが、当、三ツ渕468の天神社については無格社を見ても記されていなかった。

小牧市史 本文編(1977)の神社一覧に三ツ渕の天神社として創建慶長12年とあったが、これは三ツ渕468の天神社の創建年で、当神社のものではないと思われ、当社についての記述は見つからなかった。
今昔マップでは大正9年以前の地図に鳥居の印は確認できなかった。
大正以前の寄進物も見当たらず、創建時期は不明です。

愛知県神社庁から祭神が分かるかと確認するも登録はないようです。
祭神も定かにならず、恐らく菅原道真かと思われます。

覆屋の下の本殿は流造。

拝殿から南側の社頭、参道の眺め。

このすぐ裏手に、享保10年(1725)に遷された曹洞宗寺院圓通寺があります。
境内の寄進物に大正以前のものがないことなどから、神社は明治政府誕生以降なのかもしれません。
明治24年当時の和多里村三ツ渕集落の中心に圓通寺があり、境内東に天神社の参道や境内とも取れる空白地帯が見られますが、これが天神社のはじまりか。
当時この参道の先には田圃が広がっていましたが、今は工場や物流倉庫、住宅に姿を変えています。

天神社
祭神 / 不明
創建 / 不明
境内社 / ・・・
氏子域 / ・・・
祭礼 / ・・・
所在地 / 小牧市三ツ渕468
金毘羅大権現から天神社 / ​東へ300㍍、徒歩4分​ 
参拝日 / 2025/6/9
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