天台宗 別格本山 宝積山 光前寺

長野県駒ヶ根市宝積山光前寺。
天台宗の別格本山として知られ、霊犬早太郎伝説と国指定名勝の庭園を有する古刹です。

中央アルプス駒ケ岳を源にする大田切川右岸、空木岳の東麓の駒ヶ根市赤穂に鎮座します。
 千畳敷カールに向かう際、車を駐車する菅の台駐車場から南に徒歩20分もあれば門前に着くことができます。

天台宗 別格本山 宝積山 光前寺」門前。
 この仁王門は、切妻、瓦葺の三間一戸の八脚門で、火災で古記録をなくしており、造営年は不明ですが、現在のものは昭和19年に再建されたもので、左右の間に金剛力士像を安置します。

上は境内の伽藍マップ。

門前に金比羅大権現・秋葉山大権現と刻まれた石標、その先に鎮守社と蠶養神の石標が安置されています。

開基は本聖上人で、比叡山で修行の後、太田切黒川の瀑の中から不動明王の尊像を授かり、貞観2年(860)この地に寺を開いたのがはじまりとされます。

織田氏と武田氏の戦による罹災から古記録を喪失しているため詳細不明。
武田・羽柴家などの武将はじめ、江戸時代には幕府からも庇護を受けたようで、往事は複数の塔頭寺を有したそうです。

金剛力士像は大永8年(1528)に作られたもので、駒ヶ根市有形文化財に指定されている。

光前寺の山号は、宝積山。

天井は格子天井で、至る所に貼られた千社札が目に付きます。
斗栱と斗栱の間の間斗束に文字が刻まれており、精一杯寄ってみたが読めなかった。

境内から門前の眺め。
県道75号線まで約1キロの直線が続く門前通り、店が連なる善光寺のようなイメージとは程遠く、長閑な田園風景が広がります。

光前寺は名勝光善寺庭園として国の名勝指定を受けており、有料拝観の本坊、客殿の築山泉水式庭園だけではなく、参道の杉並木やその石垣の奥に自生するヒカリゴケをはじめとする苔類など、境内全域がその対象になっており、そうした自然美を見て回る楽しみもあります。

山門を過ぎた左側の大講堂。

昭和55年(1980)に建立されたもので、均整の取れた大きな屋根と大きな向拝を持つ重厚感のある大講堂。
正面には前庭があり、訪れた時には睡蓮の花が咲き始めていました。
池の周囲は枝垂れ桜が植えられており、桜の時期も楽しめる。

三門に続く石畳の参道と杉並木の眺め。
ヒカリゴケは石垣が積まれたこの土塁の隙間の中に自生しているようです。
参道左側に柵が廻らされていることから、恐らく左側を根気よく探していけば出逢えるものと思います。
残念ながら自分の目では見つけられなかった。

・・・・、まぁ、これ以外にもいるよな。

参道右側の本坊・客殿入口。
このあたりはシャクナゲが多く見られました。

本坊・客殿の参道と並行するように、緑の絨毯でも敷き詰めたような一面苔生した古道があります。
ここは全面立ち入り禁止となっています。

杉並木の長い参道の先の三門。
こけら葺の入母屋二層の三間三戸の楼門で、桁行3間・梁間2間のもの。
現在の三門は嘉永元年(1848)に再建されたもので、上層に十六羅漢像が安置されているという。

切妻、本瓦葺で建立年代は不明ですが、木鼻などの意匠はシンプルな古いもので、四隅の柱の床梁にも同じ意匠の木鼻が施されています。

鐘楼付近から三門側面の眺め。

三門の杜組は三手先、門の右脇には石仏が安置されています。

三門から本殿の眺め。
手前右手には弁天堂・経堂があり、左手に十王堂が建てられています。


右手の弁天堂は天正4年(1576)に建立されたもので、入母屋銅板葺の梁間・桁行ともに一間の小堂で、内部には室町時代末期の製作とされる厨子を安置します。国の重要文化財に指定されています。
後方の白漆喰の建物は経堂。
享和2年(1802)に建てられた入母屋造妻入で唐破風向拝が付くもので、大般若経600巻を所蔵するという。

参道左手の建物は十王堂。
普段内部非公開で、堂内には不動明王文殊菩薩をはじめとする十王像が安置されており、2005年に特別公開されたという。


十王堂脇の石仏から池の対岸の三重塔の眺め。

石畳の先に重厚な姿の本殿が間近に迫ってくる。

本堂の石段左の手水舎。

鎌倉時代に作庭された池泉庭園を背にして、聖観世音菩薩像の足元の龍口から絶えることなく清水が注がれています。

本堂正面全景。
入母屋妻入りの檜皮葺で唐破風向拝を持つ威厳のある佇まいで、本尊の秘仏不動明王八大童子が安置されています。
ここから先は堂内に向けての写真撮影は禁止されています。

本堂左から全体の眺め。
本聖上人が貞観2年(860)に開いたもので、当初は更に北側に建てられていたという。
伽藍は幾度か火災に遭っており、寺伝などは焼失しているらしい。
また、光前寺には怪物退治で知られた山犬「霊犬早太郎伝説」が伝わります。
外陣前の広縁には早太郎の像も安置されています。
現在の本堂は嘉永4年(1851)に再建されたもので、特に、手の込んだ唐破風向拝の彫飾の意匠は必見の価値があります。

了解を得て撮影させてもらった装飾の一部。

手挟の意匠も手が込んでいますが、海老虹梁に施された龍は、左右の意匠を変えるなど拘りが見られます。

本堂参拝のあと、向拝を見上げてください。
苦悶の表情で龍を支える力士像の姿もあります。

霊犬早太郎墓。
その昔、静岡県磐田市の見付天神(矢奈比賣神社)では、毎年8月10日の祭りに人身御供として「白羽の矢」が立った家の娘を神に捧げるというしきたりがあった。
ある年、見付を訪れた旅の僧侶がこの話を聞き、しきたりを絶つ方法を探る中で、これが怪物の仕業であることを突き止める。
怪物たちが「信濃の国の悉平太郎に知らせるな」とささやくのを耳にして、信濃(現在の長野県)へ向かい、駒ヶ根市の光前寺に「悉平太郎」と呼ばれる犬が飼われていることを知る。
翌年の祭りの日、僧侶は悉平太郎を人身御供の代わりとして見付天神に供えた。
怪物が現れると同時に、悉平太郎が襲いかかり、格闘の末に怪物(年老いた巨大なヒヒ)を退治した。
それ以来人身御供のしきたりはなくなり村人たちは安堵したという。
悉平太郎は格闘の末、光前寺まで辿り着き、そこで息絶えたという。
この墓はその早太郎を祀るもので、この伝説を縁として、磐田市駒ヶ根市は友好都市にもなっているという。

霊犬早太郎墓から三重塔に続く小径を進むと、苔むした一画に、「大阪冬の陣」と「夏の陣」で、地元・駒ヶ根市西側一帯の神穂郷の武芸に秀でた農家の若者十一人が、豊臣方の真田幸村とともに徳川勢と対峙した、千村氏の家臣「上穂十一騎之碑」があります。

三重塔。
文化5年(1808)に再建された高さは17㍍の三重塔で南信州では唯一のものと言われています。
塔の手前には霊犬早太郎の像が安置されています。

早太郎像の横から眺める本堂の眺め。

境内の光前寺自然探勝園の一角に建てられている井月(井上井月)句碑。
文政5年(1822)、越後長岡藩で生まれたとされ、生涯はあまり定かではないが、伊那谷を中心にして俳句を詠んでいたとされる。
ここには「降るとまで人には見せて花ぐもり」とある。

このあたりはあまり人が来ないようで、樹々に包まれ、緑の苔が一面に広がり癒される空間ですが、参道の看板にあった「サル・クマの出没」は意識しておきたい。
当日は一部通行禁止になっており、奥深くまで踏み込まないようにしたい。
 
天台宗 別格本山 宝積山 光前寺
宗派 / 天台宗(比叡山延暦寺末)
開基 / 本聖上人
開基年代 / 貞観2年(860)
本尊 / 不動明王
所在地 / ​駒ヶ根市赤穂29
参拝日 / 2025/07/01
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