前回の水神社からの引き続きとなる、今回は水神社から400㍍ほど南下した右側に鎮座する「曽本町 神明社」を取り上げます。
最初に現地に参拝者駐車場はありませんので書いておきます。

曽本町 神明社社頭全景。
ほぼ東向きに社頭を構え、社頭には一対の常夜灯、石柱門(昭和10年)、平成に寄進された神明鳥居を構えています。
左に大正元年健之の「村社 神明社」の社号標が建てられています。

鳥居から境内の眺め。
正面の蕃塀と、その先に社殿があり、社殿の左右に境内社が祀られています。

蕃塀。
大正元年に寄進されたもので、上部は鉄の丸棒で格子が入れられています。

境内から田畑が広がる社頭を望む。

境内左の社務所から社殿を眺める。
社殿は切妻瓦葺の吹き抜け拝殿に越屋根の平入幣殿・神明造の本殿で、木造ながら綺麗に管理されています。
境内に由緒書きは見られなかった。

愛知県神社庁の【神社検索】に登録があり記載内容は以下。
『祭神 天照大御神、豊受大神
氏子域 曽本町幼川添、曽本町二子、曽本町二子前
例祭日 10月第2日曜日』とだけ記されていました。
【愛知県神社名鑑(1992)】による解説は以下。
『祭神 天照大御神、豊受大神
由緒 創建は明らかではない。
貞享元甲子年(1684)再建の棟札が残る。
明治5年村社に列格
例祭日 10月16日
社殿 本殿 神明造、幣殿、拝殿、社務所』とあり、再建年度までは遡ることができました。

上は今昔マップ明治24年当時の鎮座地周辺。
尾張志 下巻や江南市史に「曽本村に神明社・天神社」と記されるが、この地図から天神社は見当たらず、村絵図を探すしかなさそうです。

社殿右の境内社。
左から水神、御嶽、伏見稲荷、針綱神社の4柱が祀られています。

拝殿の意匠は控え目なものになっています。

幣殿前の狛犬。
境内には平成・昭和・大正と各年代の寄進物がありますが、この狛犬は古い年代に寄進されたもののように見えます。

もっとも古い寄進物は、幣殿前の常夜灯で、竿には寛政(1789~1801)の元号が刻まれていました。
元号の下の文字が読み取れず、はっきりしないが「癸」と刻まれているようにも見え、寛政5年当時の曽本村の先人が寄進したものかもしれません。

社殿左の覆屋には三社が祀られていました。

左から津島神社、地蔵、南無天満自在天神。
ひょっとして、この天神が記録にある曽本の天神社で、明治以前に集落に点在していた神社が神明社に纏められたものだのうか。

西側の道路から社殿の眺め。
平成17年(2005)に社殿は建て替えられているようで、真新しい石垣がそれを物語っています。
貞享元年(1684)再建以来、曽本町の氏子達により代々受け継がれてきた神社が曽本町の神明社です。
対照的に、すぐ西隣に鎮座していた生駒氏の菩提寺で信長の側室吉乃の眠る「嫩桂山 久昌寺」は、檀家離れから2022年に廃寺となり伽藍は解体され、今は「嫩桂山 久昌寺跡」として公園に姿を変えています。
次回は現在の「嫩桂山 久昌寺跡」を掲載します。
余談になりますが、盆に墓参りに訪れた際のことですが、それまで目印となっていた墓石が撤去されて更地になり、入口を一瞬見失ったことがあります。
自分に「なぜ継承するのか?」問いかけると、「自分で途絶えさせるのは避けたい」ただそれだけかもしれない。
今の若者には、継承そのものが足かせでしかない、そんな時代になっている。
曽本町 神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神、豊受大神
境内社 / 水神、御嶽、伏見稲荷、針綱神社、津島神社、地蔵、南無天満自在天神
氏子域 / 曽本町幼川添、曽本町二子、曽本町二子前
例祭日 / 10月第2日曜日
所在地 / 江南市曽本町幼川添227
水神社から曽本町 神明社徒歩ルート / 路地を400㍍南下した右側、約5分ほど
参拝日 2021/8/21
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