石仏町 長安寺薬師堂。
前回掲載した津島社周辺に駐車余地がなく、周辺を彷徨っていた際にこの風情のある堂を見かけ立ち寄ってみました。
所在地は岩倉市石仏町長南屋敷地内、津島社から東へ徒歩5分程のすれ違いもままならない対面通行の狭い路地脇に鎮座しています。

長安寺薬師堂全景。
堂正面の広い境内は駐車禁止で、堂の裏側に駐車余地があり、そこに停めさせてもらいました。

堂は桁行・梁間3間ほどの入母屋妻入りの木造瓦葺で、火灯窓が付き、正面に向拝が施されたもの。
大棟の鬼板には「薬師」の文字が入れられている。
左の献灯台は大正元年(1912)に寄進されたもの。

『鰐口 昭和五十七年六月三日市指定
この鰐口は、岩倉市内に存在する金石文としては、最も古い時代に属しており有形文化財として貴重な歴史遺産である。
形状は、銅で鋳造されており、面径19.7センチメートル、重量2.9キログラムある。
銘文は、表
(右)「尾劦刃(丹)羽郡井上庄石佛村長安寺薬師鰐口」
(左)「奉寄進當村地頭名護屋住源朝臣大田半右衛門尉次良」
裏
(右)「寛文二年拾月吉祥日」
(左)「壬寅佛具屋平兵衛」(陰刻銘)
薬師堂は石仏村長安に古くから存在した堂であり、この鰐口によって、もと長安寺と称したことが推定される。
当時、石仏村に知行地を得ていた大田次良の寄進したものであり、今日まで村人により大切に保存されてきた。』とあります。
岩倉市支援活動センターの薬師堂解説では以下のように解説されています。
「大化改新(645)建立の長福寺塔頭長安寺の薬師堂と伝えられ大切にされています。
江戸初期に寄進された鰐口が有名です。長安は石仏小区の名前として残っています。」と紹介されています。
また、「尾張名所図会附録 2編 丹羽郡」に「薬師堂」について以下の記述があったので参考までに記載する。
「薬師堂 石佛村のうち長安組にあり、往古長安寺といえる天台宗の梵刹なりしが廃絶せしを天和3年5月再興す。
鰐口一口銘に尾州丹羽郡井上庄石佛村長安寺薬師鰐口奉寄進当村地頭名古屋住源朝臣大田半右衛門尉治良寛文二年拾二月吉日云云とあり。」
長安寺が分かれば薬師堂の創建時期も分かるかと思い、複数の地史に目を通したが、具体的な記述に出逢えず、詳細は分からなかった。
寄進者の大田半右衛門尉次良は関ヶ原合戦のあと、埼玉県行田市の忍城で徳川家康六男の忠吉に仕え、清洲城に来て、この地を領したとされ、長福寺は後に廃寺となり、現在は千秋町加納馬場長福寺地内に「長福寺廃寺」の碑が立っているだけです。
尚、この鰐口は現在大切に保管され、毎年正月と10月に一般公開されているそうです。

胴枠には寄進年が刻まれますが、確認できなかった、献灯台が寄進された大正元年に再建などのイベントがあったのかもしれません。
堂の中には薬師如来が安置されていると思われますが、ここから先の堂内は覗き込んでいません。

堂の右側の半鐘。
