小牧市河内屋新田『秋葉神社』

小牧山周辺の寺社を巡るのが今年の目標のひとつですが、8月以来久しぶりに小牧山方面の神社を巡ってきました。
今回からその際に訪れた神社を掲載していきます。
初回は小牧市​河内屋新田の公園内に鎮座する小さな社を取り上げます。
当日は実りの秋を迎え、近隣では子供御輿や法被を羽織った人の姿を何度か見かけました。

写真は鎮座地の「かわちや児童遊園」の北側から北東方向の眺め。
黄金色の田んぼの右手に見えている杜は、若宮八幡社の杜で、その遥か先には本宮山、入鹿池がある。
江戸時代は尾張国春日井郡河内屋新田村で、入鹿池の築堤技師として河内国から招聘された河内屋甚九郎の名に由来するという。

上は明治24年の鎮座地の地図、Gマップには秋葉神社として出てきますが、今回現地を訪れてみると秋葉神社を裏付けるものは見つからなかった。
ただ、明治24年当時はこの場に寺が鎮座していることが分かります、しかし神社としては記されていません。
寺は昭和中頃には地図から姿を消し、新たに鳥居が記されることもありません。
この神社は姿を消した寺の鎮守社だった可能性を感じます。

このブログではとりあえず「秋葉神社」としておきますが、果たして火の神「加具土命」だろうかと疑問を感じます。
鎮座地の河内屋新田は寛永年間(1624~1645)入鹿池築造に尽力した入鹿六人衆の一人、船橋仁左衛門(七兵衛)により開発され成立したもの。
明治元年(1868)入鹿切れで水は津波となって犬山市大口町方面に大きな被害を与えました。
上の地図は被災して24年後の村の様子ということになります。

上は入鹿切れの被害の広さを伝える絵図。
水は本宮山北側の裾沿いを西へ流れ、左下に向け濁流となって流れ下り、小牧山の北側の「河内屋」として記された当地にも被害が及んでいることが分かります。
後に建立された「暴水流亡各霊墓」にも被災地として河内屋村の名が記されています。
そうした地域にあって火の神だろうか、そう感じてしまいます。
入鹿切れ以前から寺の鎮守や集落の火伏として祀られていたのなら納得できるが、なにせ創建時期が不明なのでなんとも歯がゆい。

「かわちや児童遊園」西側から眺める「秋葉神社」、後方の建物は「河内屋老人憩いの家」。

「かわちや児童遊園」と「河内屋老人憩いの家」全景。
右手にはコミュニティー施設「河内屋会館」があり地域の交流の場となっている。

「河内屋老人憩いの家」の前の手水鉢には漱水とあるが水は張られていなかった。

左側には観音堂と石碑群がある。

安置されている像は全部で三十三躯、西国三十三観音霊場の本尊かな。

左の像の台座正面は「大乗妙典千部」、左側面に寛政2年(1790)の文字が刻まれています。
右手は「白春龍神」。

河内屋新田が開かれたのが寛永年間(1624~1645)とされるので、成立後間もなく寄進されたもの。
どことなく寺の名残が漂っています。

正面の社と右の石碑、碑には「船橋家先祖の碑」と刻まれています。
河内屋新田開拓に尽力した船橋仁左衛門を顕彰するものと思われます。

本殿全景。
やはり秋葉神社につながるものは見られません、扉の先のお札を見ればスッキリするのだろうが、そんなわけにもいかない。
詳細は不明ですが、新田が成立し集落も大きくなり、集落の除災目的で祀られたものだろうか。

小牧市河内屋新田『秋葉神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
氏子域 / 河内屋新田
祭礼 / 不明
所在地 / 小牧市河内屋新田485
参拝日 / 2025/10/13