前回掲載した加納馬場津島社、今回はそこから西に800mほど、県道171号線の千秋交番裏側の森に鎮座する神明社(加納馬場)を掲載します。


鎮座地は青木川左岸の田園地帯に鎮座しており、加納馬場地内でも、まだまだ広い田畑が広がっている地域。
鎮座地は明治時代の地図で見る限り、田畑の中に針葉樹の森がポツンと残る地域で、周囲に住居は見られず、鳥居の印は確認できません。

南北に長い逆三角形の社地で、両脇に車道が伸び、後方の県道と接しています。
こうして眺める神明社の全景は、あたかも水面を進む船のようにも見えてくる。

右の神明社社標と正面の神明鳥居は昭和58年(1983)に寄進されたもの。
当神社の由緒・沿革は現地でみられず、Gマップは神社の写真のみで由緒など記述は全くなく、国立国会図書館サーチから調べる事になりました。
加納馬場神明社について愛知県神社名鑑(1992)は以下のように纏めています。
『十五等級 神明社 旧無格社
口碑によると、昔洪水の時に流れ着かれた神を恐耀してお祀りしたもので、 以来雨乞いの神として崇敬される。
社殿 本殿 神明造
崇敬者数 15人』
「尾張志下巻(1979)」には「山王権現社、天王社、熱田大明神社、神明社、加納馬場村にあり」との記述がみられます。
尾張志全60巻が尾張藩主・徳川慶臧に献上されたのが弘化3年(1846)である事を踏まえると、元文3年(1738)の勧請も頷ける。
神明社といえば祭神は天照大御神が一般的ですが、玉祖命を祭神とする神明社はあまり記憶がない。
玉祖命は、三種の神器のひとつ「八尺瓊勾玉」を作った神とされます。
玉造部の祖神で、山口県防府市の玉祖神社(周防国一宮)が総本社で、神明社の形式を取りながら、玉祖命を祭神とする神明社は珍しいのかもしれない。
創建当初、玉造部との所縁があったものと思われますが、歴史的背景までは調べていません。

鳥居から先の境内左側に「千秋中東 土地改良記念碑」が立てられ、奥に行くにつれ広がりを持っています。

境内奥の社殿の眺め、右手の建物が県道沿いに建つ交番。
遠目からこんもりと茂った樹々の多い杜に見えますが、境内に立つと意外に樹々はすくなく、むしろスッキリした印象を受けます。

本殿全景。
角の取れた岩を組み上げて作られた基壇の上に板宮造の本殿が祀られています。

本殿に社名札や祭神を示す木札は掛けられていなかった。

参拝を済ませ、本殿から社頭を眺める。
桜や剪定された欅(だろうか)が大きく枝を広げていますが、黄金色の稲田が見通せる明るい境内でした。
一宮市千秋町加納馬場『神明社』
創建 / 元文3年(1738)勧請とされる
祭神 / 玉祖命
祭礼 / 10月第3日曜日
氏子域 / 千秋町加納馬場
所在地 / 一宮市千秋町加納馬場高須56
参拝日 / 2025/10/13
津島神社から神明社 / 西に向かい県道63号線を横切り、加納馬場高須地内の神明社まで移動距離0.8km・約5分
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