愛知県 知多四国巡礼 第8回:65番札所 神護山 相持院

前回までは58番から63番札所 大善院を札所順に巡ってきました。
今回は本来の64番札所を目指すルートから逸れ、先に65番札所 神護山 相持院に向かう事にします。

大善院の門前から右に続く上り坂があるので、こちらを進みます。
この坂を上りきり、「とこなめ陶の森資料館​」の西側の尾根沿いの道を北に向かい、700㍍先の常滑市千代丘地内の65番札所 神護山 相持院までは15分ほどです。

尾根の外れから北を眺めると、北側に丘陵地が現れ、相持院の寺叢が見えています。
65番札所 神護山 相持院の門前、ここから山門をくぐり本堂までは長い石段が続いています。

相持院山門。
入母屋瓦葺の平入の四脚門で前後に軒唐破風が付く。

この山門そのものは比較的最近に作られたものですが、木鼻や透かし彫りの意匠には手間が掛けられている。

門前からは石段が続きます。

相持院へは今回で2回目の参拝となり、前回の記事リンクは最後に貼っておきます。
この石段を登れば境内ですが、長い距離を歩き足取りが重たくなっているところに、この勾配はとてもきつく感じます。

石段を上り切ると、静かな境内に入母屋瓦葺の落ち着いた佇まいの本堂が姿を現します。
右側には願掛六地蔵尊、水子地蔵尊、左側の祠の後方には弘法大師像が安置されています。

境内右の「延命の鐘」。
吊られている梵鐘は知多半島でも最大級の大きさを誇るもので、100円で突くことが出来、一突きすれば寿命が延びるそうだ。

 

常滑観光協会の解説によれば、相持院の草創は南北朝期(1336~1392)頃とされ、当初は真言宗に属していましたが、永禄3年(1560)に曹洞宗天沢院の末寺となりました。
明治初年には神明社と分離し、隣寺の宝全寺と合併して一時廃寺となりましたが、明治36年(1903)に静岡の西光寺から寺号を譲り受けて再興、大正10年(1921)に「相持院」と改称し、昭和23年(1948)に現在地へ移転しました。
鐘楼は北叡山をモデルに建立され、知多半島随一の大きさを誇る梵鐘が吊られています。
境内には陶芸家の作品が安置され、四季折々の景観とともに「陶都の趣」を感じさせます。

尾張徇行記』では、相持院は「神古山」と号し、曹洞宗天沢院の末寺で、開山は恵杉和尚、境内には観音堂秋葉社があったと記されています。

常滑市誌によると、相持院は明治10年(1877)に廃寺となり宝全寺に統合されましたが、前身の西光寺が明治36年常滑へ移転して説教所を開設し、明治39年(1906)に「西光寺」と号しました。
大正10年(1921)に「相持院」と改称し、戦後に現在地へ移転。
本尊は地蔵菩薩で、天沢院の末寺でした。
なお、西光寺自体は寛文2年(1662)に創建されたとされています。

地元では「西光寺さんと呼ぶ時もある」とする記事も見られます。
もともと南北朝から相持院だったのか、創建時期がいつか、これらでははっきりしない。
ただ現在の相持院伽藍は明治中期になってからのようです。

本堂延命殿前の香炉。

本堂に掲げられている「延命殿」の額。
本尊は1336年~1392年頃に作られたとされる延命地蔵尊。

本堂左の大師堂、当日は御覧のように戸が閉じられていました。

境内左の稲荷社。

創建等の詳細は不明、本堂前の狛犬同様に狐達も陶製です。

 

愛知県 知多四国巡礼 第8回:65番札所 神護山 相持院
宗派 / 曹洞宗
創建 / 不明(現在地へは明治中期移転)
開山 / 恵杉和尚
開基 / 養春上人
本尊 / 延命地蔵大菩薩
札所 / 知多四国霊場65番、常滑郷廿一大師17番、南知多七福神(布袋尊)、くるま六地蔵4番
所在地 / ​​常滑市千代丘4-66
大善院から相持院 / 大善院から北に向かう、「とこなめ陶の森資料館​」西側を経て​0.7km、約15分​​。
参拝日 / 2025/10/21
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過去記事
常滑市 『神護山 相持院』知多四国六十五番札所