村社 八幡神社 3 東海市

寒い。
名古屋方面から天白川に架かる千鳥橋を渡り左に突き当たった川沿いに八幡神社は所在する。
 東海市史によると祭神は応神天皇とのこと。
以下は市史からの抜粋となります。

3社を訪れこの八幡神社が一番歴史の趣を感じる。







    
地元の方に大切に維持されている「赤ペンキ」。




狛犬が睨みを利かせています



社側面から画像










 新田は元禄8年(1695)、犬山の材木商神戸(かんど・犬山屋)伝八郎が金主(出資者)となって改築された。
神戸家の屋号から、犬山新田とも呼ばれ、北犬山は、その呼称のなごりで、天白川や込高沿いの集落を指す。

 寛政2年(1790)の村絵図「神戸家文書」と後代のものを対照すると、天白川沿いの北堤が改築されていることに気づく。北堤に沿って形成された葭(あし)生え場所に新たに堤が、千鳥橋の西から込高まで築かれ、古堤は地概され宅地となった。
ここが今の新屋敷である。
村絵図には、松林に囲まれた天王社が堤防上に描かれているが、八幡社がなぜか記されていない。
文化3年(1806)の最古の棟札に、「奉造立智多郡名和前新田八幡安鎮所」と社殿の造営を記している。

文化10年(1813)の棟札には「智多郡名和前新田、八幡社一社、境内四畝拾歩、御年貢地、元禄年中新田開基之砌、此清地奉勧請安鎮座、然共元来寺社御根帳仁無之」とある。
おそらく新田の現在地の小祠に応神天皇が祀られていたが、文化年間に新屋敷の造成がなされるに及んで境内も拡張されたのであろう。

大正末年には、一番畑 石原 北犬山など新田全体の氏子数は105戸、境内は一反一畝歩となっている。『郡市』祭神は鳴海の前之輪(善之庵)の八幡社から勧請された。新田の願主であった服部太左衛門は、前之輪の人である。

六番割は、元来太左衛門の控地であり、願主(がんし)と地元では呼んだ。
「新田諸事用留帳」(神戸家文書)に、「五番割下に又新田を作、氏神様尻抱地(しりがかえち)にたいし度相願候」とある。

この尻抱地は、水害で不納所となった汐溜り地沿いの田畑を、再度新田化して、その鍬下米などを神社の維持費用に充てたものである。

神社の南に、「伊勢湾台風被災追憶之碑」が建てられ、71名の犠牲者の名が刻されている。
境内社として、神明、竜神、津島、州原、秋葉の五社が合祀されている。












これは奈良の磨崖仏とよく似ているが読み取れない。

最古の棟札は文化3年(1806)のものであり、「奉造立智多郡名和前新田八幡安鎮所」と社殿の造営が記してあります。

こちらに車で行かれる場合は、相当狭い界隈を通る必要があり、個人的に歩いて行かれる事を勧めます。
御朱印も頂けませんが是非一度参拝されると宜しいかと思います。

住所 東海市名和町新屋敷1
祭神 応神天皇
東海市
http://www.geocities.jp/kamankara/text/documents/d-tou.html#名和八幡神社
http://www.geocities.jp/kamankara/text/chita/tou/tou_hatnawa.html