慈恩禅寺への道すがら、風に揺れる提灯が目に留まる。
郡上市観光・見所ナビの解説によるとこのあたりは旗本3千石金森左京の屋敷跡ですので左京町と言われている。
金森左京は元郡上藩主金森頼錦の分家で、本家が宝暦の百姓一揆で断絶したとき一族でただ1人特に存続を許され明治維新まで栄えた。
この稲荷神社は幸運児金森左京の守護神でとして崇められた。

社殿には1831年(天保2年)に正三位源重成謹が書いたとされる「正一位稲荷大明神」の額が掲げられています。
こんにちも一家の繁栄を願う多くの人々から崇敬されており、鳥居の前には複数の「左京稲荷」を記した提灯がぶら下げられ、信仰の篤さが窺えます。