尾張四観音(荒子、笠寺、甚目寺)一つ龍泉寺へ参拝
名古屋市守山区にあり、緩やかな坂の参道を5分ほど登りきったところにあります。
昔、紅葉の時期に訪れて以来久しぶりに訪れました。
龍泉寺は北に庄内川を見下ろし、勝川、春日井市街を一望できる高台にあります。
寺は天台宗に属する松洞山大行院と号すそうで、延暦年間(782‐806年)、伝教大師最澄の創建といわれています。
名前の由来は、宝暦5年(1755年)の古文書「龍泉寺記」に、「その昔、伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げにより、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えたところ、龍が天に昇ると共に、馬頭観音が現れ、これを本尊として祀った」た記述にから、龍泉の名前も由来するといわれています。
また、弘法大師空海も、熱田神宮参篭中、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納し、龍泉寺は熱田の奥の院といわれるそうです。
名古屋市守山区にあり、緩やかな坂の参道を5分ほど登りきったところにあります。
昔、紅葉の時期に訪れて以来久しぶりに訪れました。
龍泉寺は北に庄内川を見下ろし、勝川、春日井市街を一望できる高台にあります。
寺は天台宗に属する松洞山大行院と号すそうで、延暦年間(782‐806年)、伝教大師最澄の創建といわれています。
名前の由来は、宝暦5年(1755年)の古文書「龍泉寺記」に、「その昔、伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げにより、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えたところ、龍が天に昇ると共に、馬頭観音が現れ、これを本尊として祀った」た記述にから、龍泉の名前も由来するといわれています。
また、弘法大師空海も、熱田神宮参篭中、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納し、龍泉寺は熱田の奥の院といわれるそうです。
龍泉寺境内は以下の様な配置となっております。
参道を登りきると仁王門、多宝塔が見えてきます。
仁王門 重要文化財(1928年指定)
慶長12年(1607年)の建造と諸説あり。門自体は構造、趣ともに歴史を感じる見応えのあるものです。
門の傍らで日向ぼっこをしている猫ちゃん達と仁王様に御挨拶して境内へ
慶長12年(1607年)の建造と諸説あり。門自体は構造、趣ともに歴史を感じる見応えのあるものです。
門の傍らで日向ぼっこをしている猫ちゃん達と仁王様に御挨拶して境内へ
境内から仁王門を振り返る
境内右側に朱色の鮮やかな多宝塔が配されています。
こちらの多宝塔がきっかけで、奈良・京都の塔を訪ね写真を撮りにいったものです。
龍泉寺は天正12年(1584年)小牧長久手の役のおり、豊臣秀吉が当山に陣し退却するとき、池田勝入の部下により放火焼失。
慶長3年(1598年)、秀純大和尚が堂塔を再興するも、明治39年(1906年)に再び放火、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てを焼失する、二度の火災に見舞われています。
焼跡から、慶長小判百枚が発見され、それを基に、信者の寄付とあわせ本堂が再建、現在に至っているそうです。
慶長3年(1598年)、秀純大和尚が堂塔を再興するも、明治39年(1906年)に再び放火、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てを焼失する、二度の火災に見舞われています。
焼跡から、慶長小判百枚が発見され、それを基に、信者の寄付とあわせ本堂が再建、現在に至っているそうです。
龍泉寺城と宝物館
本堂奥にお城が見えます。
もとの城の場所は良くわかっていないようですが、昭和39年に復元されたそうで、現在は龍泉寺の宝物館として円空仏、地蔵菩薩立像(重要文化財)、八方睨みの虎、発見された小判容器等が多数所蔵されています。
土日のみ公開。
本堂奥にお城が見えます。
もとの城の場所は良くわかっていないようですが、昭和39年に復元されたそうで、現在は龍泉寺の宝物館として円空仏、地蔵菩薩立像(重要文化財)、八方睨みの虎、発見された小判容器等が多数所蔵されています。
土日のみ公開。
東門
仁王門手前、右手にあり、以前は瓦は苔むし、紅葉の時期には趣のある写真が撮れます。
仁王門手前、右手にあり、以前は瓦は苔むし、紅葉の時期には趣のある写真が撮れます。
この門を下ると赤い「かいうんばし」を渡り、駐車場に至ります。
車の場合はこちらが便利でしょう。
車の場合はこちらが便利でしょう。
「かいうんばし」の下には多くの地蔵が祀られ、ろうそくが手向けられています。
駐車場の「守山区史跡散策路」案内。次の目標を決めましょう。
2015年、平成の大改修により本堂の瓦替えを行ったそうで、当時の主瓦を境内に展示しています。
綺麗になっているのはそのせいでしたか
綺麗になっているのはそのせいでしたか
書院