『大樹寺』德川家発祥の地

.愛知県岡崎市にある浄土宗の大樹寺
正式には成道山松安院大樹寺と称され、徳川家、松平家菩提寺
山門、総門から岡崎城天守が見通せる事で良く知られるお寺です

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山門正面から本堂、直線上に配置されています
この山門は1641年(寛永18)、德川家光により建立されたもので県指定文化財になっており、後奈良天皇の宸筆による、扁額「大樹寺」が掲げられており、こちらは国指定重要文化財
山門内部には釈迦三尊十六羅漢が安置されているようです、残念ながら非公開で見る事は出来ません
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大樹寺本堂から山門(写真右)の先に総門(写真左下)、さらにその直線上に岡崎城が一望できる地形を生かした伽藍として考えられています
「ビスタライン」と称し、この眺望を遮る建築物を建てることを制限する景観保護地域に指定されているそうです
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総門の手前は大樹寺小学校の校庭になっており、総門の先に岡崎城天守が見通せます(精一杯拡大)
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本堂前に掲げられた「岡崎観光文化百選」の案内板(上段)
巧みな木組みの山門はシックで美しく、鬼瓦の目が訪れる者に睨みをきかせている(下段)
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境内右の鐘楼、こちらも1641年(寛永18)、德川家光により建立されたもので県指定文化財(写真左)
鐘は九代将軍家重公により改鋳されたもの
本堂左の赤い鳥居は正一位豊国稲荷大明神、戦国時代の秀吉と家康の微妙な関係性が見えてきます
・・・・・今の世も似たようなものかナ
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鐘楼の右には大樹寺熊野権現社が祀られています
写真左下の像は家康19歳の頃、桶狭間の戦いで信長に敗れ大樹寺に逃げ延びた、この地で切腹しようとしていた家康を見て、住職は厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)の言葉を授け切腹を思い止まらせた。
この出会いがなければ歴史が変わっていた訳です
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大樹寺本堂
創建 / 1475年松平親忠により建立される
1855年(安政5)の出火により大樹寺の主要建物(本堂、庫裏、書院)を消失、現在の建物は1857年(安政7)に德川家定により再建されたもの
本尊/ 阿弥陀如来像(県指定文化財、鎌倉初期の作と伝わる)イメージ 5
本堂正面から見た内部の阿弥陀如来
御朱印はこの右手になります、平日ながら大勢の方が待っておられます
御朱印待ちのかみさんを待つ間、如来像前で正座し拝ませて頂きました
イスも用意されています、ゆったりと過ぎる時間を味わうことができます
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大樹寺三河三十三札所の三番札所、三河四国八十八ヶ所霊場の二十一、二十二札所でもあります
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本堂西側(左)と東側(右)からの全景、手前の赤い社が正一位豊国稲荷大明神
妻飾、大棟、隅棟至る所に葵の紋が入り、松平(德川家)菩提寺を主張しています
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本殿左の多宝塔(国指定重要文化財)
建立 / 1535年(天文4)、松平清康により建立
檜皮葺の二層の屋根のバランスが美しい
ただ美しいだけではなく各部の飾り、木組みは緻密で丁寧に作られています
素晴らしいの一言、多宝塔だけでだけで一枚残しておきたい
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多宝塔から右に、周囲を塀で囲われた一画に突き当たります
岡崎市指定文化財の松平八代墓((上段、中段)
敷地の中には初代松平親氏から広忠の墓が整然と並ぶ
1619年(元和2)に家康の遺言から、大樹寺を位牌所とし14代家茂までの位牌が納められているそうです

本殿左の開山堂(下段)、岡崎市文化財に指定
建立 / 不明、1857年家定により再建
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大樹寺』 歴史が変わったかもしれない逸話が伝わる、松平家徳川将軍家菩提寺
住所 / 愛知県岡崎市鴨田町広元5-1
℡ / (0564)21-3917