『蝮ヶ池八幡宮』



名古屋市千種区向陽に鎮座する『蝮ヶ池八幡宮

千種区の西部は過去に古井村と呼ばれ、その大部分は山林原野でした
 1610年(慶長15)名古屋城築城とともに、南側に城下町が造られ
城下町の人口増加とともに、開墾の地を求め千種区西部をその地とした
 開墾地は名古屋新田と呼ばれ、北は現在の大曽根、鍋屋上野、東は天白区に及んだと言われます

名古屋新田の開発は尾張藩士の新田頭兼松源蔵と小塚源平に任されました
 開墾地は丘陵地のため、大半は畑
兼松家、小塚家は名古屋新田に農業用のため池を作り稲作を可能にしていった
 水利の向上に伴い農民も増え、名古屋城下に居を構えていた両家
兼松家は1781-1788現在の仲田付近、小塚家も1807年千種区吹上辺りに居を構え指揮統率の強化を図った

蝮ヶ池八幡宮は、明正天皇(1624~1696)の御代兼松源蔵が石清水八幡宮の分霊を勧請し
 自邸に近い西八幡社の地に祭ったのがその始まりと伝わる
後に現在地に社殿を造営、この地に住まうものの鎮守として建てられた

現在の千種区は当時の溜池、水田や田畑は姿を消し住宅街に大きく変貌
 地下鉄池下駅前を南北に伸びる車道を北の高見町方向に向かう
東の高台から西に大きく傾斜した地形が見て取れる
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10分程歩くと右側に蝮ヶ池八幡宮の社号標と鳥居が見えてきます
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訪れたのが2017/12/18 彩が少なくなった境内に椿の赤がアクセントを加えています
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二の鳥居
 参道の先には上りの石段が続き日陰に紅葉の名残も見られる
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石段左に手水舎があり、参道を隔て向いが社務所になります
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石段の先に境内が広がるようです・・・・・高台の頂が境内?
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視界は広がる
 丘陵地の中腹を整地し境内が広がる、左奥に拝殿が鎮座します
見上げれば更に高台が続きマンション・住宅が立ち並ぶ
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境内左が御参殿社
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社前の狛犬
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左から洲原大社、須佐之男命社、秋葉神社の三社が祀られる
 昭和49年伊勢神宮造営時の古殿社の御神木で建てられ、同50年鎮座した
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御参殿社左の鎭霊社
御祭神 / 氏子戦没者之霊、千種警察署殉職者之霊
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蝮ヶ池八幡宮拝殿と拝殿を守る狛犬
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扁額の整った文字はどなたの揮毫だろう
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拝殿内部
祭神 / 應神天皇
創建 / 1624~1696
    昭和20年の空襲で社殿焼失、同26年神殿落成
    昭和35年に拝殿、渡殿、神楽殿を造営
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拝殿の向かいには神楽殿があり、その右には木の鳥居と八幡社の社号標が残る
 蝮ヶ池が出来る前は八幡社でいいのだろうか
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境内から高低差のある西の二の鳥居を眺める
 左が社務所、右は手水舎
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境内各所に由緒書きはあるが御参殿社以外は微妙に読み取れない
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境内東、向陽町の山側の鳥居、階段の正面は神楽殿
 山を切り開いたため、ここからも結構な高低差がある
この地を開墾した当時の苦労を感じさせる

『蝮ヶ池八幡宮
住所 / 名古屋市千種区向陽1丁目3番32号
アクセス / ​市営地下鉄東山線「池下」下車 北へ10分程