源兵衛町源兵衛公園、何やらすごいネーミング
それにつられて名古屋市南区を訪れました
目的地は須佐之男社
名鉄常滑線「柴田」で下車、20分程歩いただろうか
源兵衛公園に到着、公園の南側に隣接する様に玉垣で囲われた杜が現れます
それにつられて名古屋市南区を訪れました
目的地は須佐之男社
名鉄常滑線「柴田」で下車、20分程歩いただろうか
源兵衛公園に到着、公園の南側に隣接する様に玉垣で囲われた杜が現れます

早速境内へ

境内が広がると共に南側に・・・あれ?別の鳥居が見えてくる
南側に回り込み仕切り直し


水は絶え間なく注がれ、澄んでいて気持ちがいいよね

社創建の際の記念樹として植樹され、現在もその姿を留めています

どっしりとした鬼瓦と破風飾りも誂われた拝殿の先には堤防が見えています
外見に対し拝殿内は飾りっ気のない質素な印象を与えます
須佐之男社
由緒
九州大友家の家来で知多郡大高町の山口源兵衛は1706年(宝永3)、堀川の材木庄大山屋二代目の神戸文左衛門より資金融資を受け干潟に築堤、新田を作りそこに天王社を祀ったのが始まりとされます
約300年の歴史を綴ります
源兵衛町の由来はここから来ていると思われます
源兵衛の新田は今では住宅地に変貌しコンクリート堤防で守られ面影は感じられません







