道路沿いの鳥居、実は二の鳥居
一の鳥居は右奥に建っており、鳥居前は道路は途絶え畑になります
一の鳥居は右奥に建っており、鳥居前は道路は途絶え畑になります
一の鳥居の左に「両社宮神社社務所」があります
上原村と彫られた手水鉢が置かれています
現在の町名は春日井市宮町ですが、1878年(明治11)当時は春日井村の春日井原新田と呼ばれ、水田が開かれました
上原と南下原、小牧原に分かれていたようで、鉢に彫られた上原村は当時に寄進されたものでしょう
上原村と彫られた手水鉢が置かれています
現在の町名は春日井市宮町ですが、1878年(明治11)当時は春日井村の春日井原新田と呼ばれ、水田が開かれました
上原と南下原、小牧原に分かれていたようで、鉢に彫られた上原村は当時に寄進されたものでしょう
道路に面した二の鳥居と社号標
真っ直ぐに延びる参道の先に蕃塀と祭文殿が見えます
真っ直ぐに延びる参道の先に蕃塀と祭文殿が見えます
二の鳥居の狛犬と由緒の記された石碑が建つ
両社宮神社由緒抜粋
創建は1648年(慶安元年)、1744年(延享元年)に八幡社と熱田社を合わせ祀り両社太神宮とよぶ
徳川末期、森の中に延喜式(927年)以前の和爾良神社祠を発見し合祀、1866年(慶安2)尾張藩から式内和爾良神社両社宮の社号を許可されたが、1870年(明治3)から両社宮神社と改めた
1947年(昭和22)年郷社に認定、六等級社になる
現在の本殿、祭文殿は1956年(昭和31)竣工、拝殿は1827年(文政10)改築の建物
また、1959年(昭和34)の伊勢湾台風で巨大な森は全滅、以後植林して現在の森となる
両社宮神社由緒抜粋
創建は1648年(慶安元年)、1744年(延享元年)に八幡社と熱田社を合わせ祀り両社太神宮とよぶ
徳川末期、森の中に延喜式(927年)以前の和爾良神社祠を発見し合祀、1866年(慶安2)尾張藩から式内和爾良神社両社宮の社号を許可されたが、1870年(明治3)から両社宮神社と改めた
1947年(昭和22)年郷社に認定、六等級社になる
現在の本殿、祭文殿は1956年(昭和31)竣工、拝殿は1827年(文政10)改築の建物
また、1959年(昭和34)の伊勢湾台風で巨大な森は全滅、以後植林して現在の森となる
参道中ほどの左に手水舎があります
蛙の口から絶えず水が注がれた水盤で清め先に進みます
蛙の口から絶えず水が注がれた水盤で清め先に進みます
蕃塀の先の広い境内は祭文殿、本殿、両脇に境内末社が見て取れます
祭文殿全景と内部から見た本殿
本殿前の狛犬と本殿
賽銭箱には桐と橘の紋が入る
本殿側面からの全景
派手な飾りのない流れ造りの社殿はシックな佇まい
派手な飾りのない流れ造りの社殿はシックな佇まい
社殿域両脇の神明社と須佐社
社殿の右に御嶽社、その右の諸霊社
境内西向きに祀られる左から天神社、山之神、直会社
社殿の左に住吉社
稲荷社参道入口左に玉垣で囲われた天満社
住吉社と天満社の間に稲荷大明神の幟がはためく、真っ直ぐ続く参道とその先の稲荷社
境内の三猿石像と道祖神