長久手市岩作
以前は花火大会が催され、夏の風物詩として馴染みのある地域
長久手市役所から徒歩10分程東に歩いた左、色金山の麓に安昌寺山門が見えてきます
訪れたのは3/28
山門横の淡墨桜は丁度見頃を迎えていました
以前は花火大会が催され、夏の風物詩として馴染みのある地域
長久手市役所から徒歩10分程東に歩いた左、色金山の麓に安昌寺山門が見えてきます
訪れたのは3/28
山門横の淡墨桜は丁度見頃を迎えていました
微妙に色の違う二本の桜に彩られた山門からは、境内がほぼ見て取れます
樹齢30年程の薄墨桜
安昌寺の菩提樹だそうです
安昌寺の菩提樹だそうです
山門から境内に入った右の手水鉢
碑の左の石は「夜泣き石」と呼ばれ
この石にお参りすると、子供の夜泣きが止まるとも云われます
この石にお参りすると、子供の夜泣きが止まるとも云われます
本堂から右に庫裏へとつながっていきます
近代になって建て替えられた様です、新しい
近代になって建て替えられた様です、新しい
本堂に掲げられた扁額
観音堂内(2枚張り合わせ)
1573年(天正元年)、守山区大永寺の雲山和尚により草創され、1585年(天正13)に岩崎城主丹羽氏により創建された寺
ここから程近い長久手合戦の際、戦死した人々を雲山和尚が懇ろに弔ったそうです
合戦後、多くの尾張藩士が訪れた事から、安昌寺には多数の書き付けが残ると言われる
1573年(天正元年)、守山区大永寺の雲山和尚により草創され、1585年(天正13)に岩崎城主丹羽氏により創建された寺
ここから程近い長久手合戦の際、戦死した人々を雲山和尚が懇ろに弔ったそうです
合戦後、多くの尾張藩士が訪れた事から、安昌寺には多数の書き付けが残ると言われる
本堂左の地蔵群
境内から山門を振り返る、二本の桜が印象的です