畑の中ほどに玉垣で囲われた一画が見えて来ます、そこが耳塚になります
畑の南には耳塚に通じる歩道が整備され、塚の東側は南北に伸びる県道60号線に接しています
そこから眺める光景はまさに畑の中央に耳塚が祀られています
塚の左には小さな手水鉢の燈籠、耳塚と記された石碑も見て取れます
そこから眺める光景はまさに畑の中央に耳塚が祀られています
塚の左には小さな手水鉢の燈籠、耳塚と記された石碑も見て取れます
耳塚左の石碑は平成25年に修復した事を刻む
石灯籠は昭和3年建之と読める
この耳塚は何時頃、誰がどうした理由から建立したのか詳細は不明です
首塚は古図でも記されていましたが、耳塚を記した古図は見つけられませんでした
1584年(天正12)長久手の合戦に伴う史跡なのか否か確たる根拠はありません
首塚は古図でも記されていましたが、耳塚を記した古図は見つけられませんでした
1584年(天正12)長久手の合戦に伴う史跡なのか否か確たる根拠はありません
NAGAKUTE GUIDEからの引用になります
『天正12年(1584)小牧・長久手合戦がこの地で終戦となったので、首塚・耳塚が残っています。耳塚の発生の詳細は不明ですが、徳川家康が合戦に際して戦いに勝利した時には「敵方の首・片耳をそぎ取り持参して、後日勲功の証とせよ」と指令した、討死者は耳をそぎ落とされたと言われています。
岩作里誌には、「耳に病む者茲に祈る。克く感応あり」と書かれているように、古来よりこの耳塚に祈願すれば耳の悪い人は平癒すると言われています。昔は3.9坪の草塚でしたが、昭和3年(1928)12月に手水石、耳塚入口石碑、燈籠などが改修されました。平成25年(2013)4月耳塚入口が住宅で囲まれ、塚も傾いたので、地元有志により参道の整備と塚の基礎工事他の改修が行われました。』
長久手市のガイドの内容と碑に記された年号は符合しますが、起点については結局良くわかりません
耳塚、忌嫌う様なネーミングですが
後に知った事ですが、耳の悪い人を平癒するパワースポットです
改めて祈願しに行こうと考えています
住所 / 愛知県長久手市岩作中縄手50
アクセス / リニモ長久手古戦場下車 北へ徒歩20分程
『天正12年(1584)小牧・長久手合戦がこの地で終戦となったので、首塚・耳塚が残っています。耳塚の発生の詳細は不明ですが、徳川家康が合戦に際して戦いに勝利した時には「敵方の首・片耳をそぎ取り持参して、後日勲功の証とせよ」と指令した、討死者は耳をそぎ落とされたと言われています。
岩作里誌には、「耳に病む者茲に祈る。克く感応あり」と書かれているように、古来よりこの耳塚に祈願すれば耳の悪い人は平癒すると言われています。昔は3.9坪の草塚でしたが、昭和3年(1928)12月に手水石、耳塚入口石碑、燈籠などが改修されました。平成25年(2013)4月耳塚入口が住宅で囲まれ、塚も傾いたので、地元有志により参道の整備と塚の基礎工事他の改修が行われました。』
長久手市のガイドの内容と碑に記された年号は符合しますが、起点については結局良くわかりません
耳塚、忌嫌う様なネーミングですが
後に知った事ですが、耳の悪い人を平癒するパワースポットです
改めて祈願しに行こうと考えています
住所 / 愛知県長久手市岩作中縄手50
アクセス / リニモ長久手古戦場下車 北へ徒歩20分程