


今回漸く写真に収める事が出来ました
云われは以下の様です
支那事変(1937年)の勃発に伴い、上飯田周辺から約60人余りを出兵される事となった
彼らの壮行会をこの神社前の前で行ったと云われます
残された少年・少女は武運長久を祈り、毎日一つずつの石を六社宮に奉納した云われます
出兵した人達が無事に戻ってくる様に願いを込めて六所社に石を積んだそうです
その積み上がった石の山を富士山に準えて、「赤心富士」と名付け石碑を建てた事が始まりの様です
赤心とは「飾りのない真心」の意味で、共産主義の盲信からくるものではなく
無事に帰ってきて欲しい、純粋な気持ちが形になったもの
後の太平洋戦争では、六所神社は空襲を受け焼失しますが「赤心富士の石碑」は焼け残り現在に至ります
被災から免れたのは、石を積み上げてきた少年・少女らの祈りによるものでしょうか












千木と鰹木が印象に残ります

少し上向きでこちらを見ています







