鳥居の先には蕃塀と拝殿、鎮守の杜に包まれた本殿が見えます
道路際に掲げられた木製の由緒書き
境内の左の「赤心富士」と刻まれた石碑、前を通る度にいつも気になっていたものです
今回漸く写真に収める事が出来ました
云われは以下の様です
支那事変(1937年)の勃発に伴い、上飯田周辺から約60人余りを出兵される事となった
彼らの壮行会をこの神社前の前で行ったと云われます
残された少年・少女は武運長久を祈り、毎日一つずつの石を六社宮に奉納した云われます
出兵した人達が無事に戻ってくる様に願いを込めて六所社に石を積んだそうです
その積み上がった石の山を富士山に準えて、「赤心富士」と名付け石碑を建てた事が始まりの様です
赤心とは「飾りのない真心」の意味で、共産主義の盲信からくるものではなく
無事に帰ってきて欲しい、純粋な気持ちが形になったもの
後の太平洋戦争では、六所神社は空襲を受け焼失しますが「赤心富士の石碑」は焼け残り現在に至ります
被災から免れたのは、石を積み上げてきた少年・少女らの祈りによるものでしょうか
今回漸く写真に収める事が出来ました
云われは以下の様です
支那事変(1937年)の勃発に伴い、上飯田周辺から約60人余りを出兵される事となった
彼らの壮行会をこの神社前の前で行ったと云われます
残された少年・少女は武運長久を祈り、毎日一つずつの石を六社宮に奉納した云われます
出兵した人達が無事に戻ってくる様に願いを込めて六所社に石を積んだそうです
その積み上がった石の山を富士山に準えて、「赤心富士」と名付け石碑を建てた事が始まりの様です
赤心とは「飾りのない真心」の意味で、共産主義の盲信からくるものではなく
無事に帰ってきて欲しい、純粋な気持ちが形になったもの
後の太平洋戦争では、六所神社は空襲を受け焼失しますが「赤心富士の石碑」は焼け残り現在に至ります
被災から免れたのは、石を積み上げてきた少年・少女らの祈りによるものでしょうか
境内左の手水鉢舎と手水鉢、久し振りの龍です
威嚇する様な顔つきの龍、絶え間なく静水が注がれています
緑の杜を背景に建つ白い蕃塀
東の鳥居から境内全景、参道の先は社務所になります
直線的で大きな屋根には千木と鰹木を持つ遥拝所
拝殿前の狛犬
遥拝所から見た拝殿
六所宮扁額
拝殿前に鬼飾りが置かれています、焼失前のものでしょうか
西側からの本殿、幣殿、拝殿の全景
遥拝所と拝殿全景
千木と鰹木が印象に残ります
千木と鰹木が印象に残ります
拝殿東の鳥居、天満宮と記された社号標が見えます
牛が見当たらないようだが
牛が見当たらないようだが
いましたね、鳥居の右に
少し上向きでこちらを見ています
少し上向きでこちらを見ています
遥拝所からの全景
一番左側の弁財天
神社北側の玉垣の先には整然と並ぶ社が良く見えます