県道脇に富士社の石鳥居が見えて来ます
鳥居の先は白い石段が一直線に上へと伸びています
比較的新しい白い石段と社号標
新しい石段を登りつめると二の鳥居、右側には富士浅間社の社号標
二の鳥居の前は下から延びる参道の様です
石段の先には屋根が見えています
両脇を木々に覆われ、木陰の下を登っていきます
両脇を木々に覆われ、木陰の下を登っていきます
それ程広くはない境内、正面に社殿だけが建っています
右には若干緩やかな参道
左には手水鉢が置かれています
水は注がれていないものの手水鉢の水は澄んでいます
社殿だけが鎮座するので意外に解放感のある境内です
御旗山の木々に囲まれ、境内を抜ける風は心地よい
富士社全景
切妻の小ぢんまりとした社殿
御旗山の木々に囲まれ、境内を抜ける風は心地よい
富士社全景
切妻の小ぢんまりとした社殿
シンプルな富士社扁額、飾りがないだけに文字が生きてきます
富士社記によれば
1617年(元和3)の創建とありますが、1970年(昭和45)に改修を行うも1985年に火災で焼失
1991年(平成3)崇敬者の支援により再建されたもの
子供の虫封じ御利益があると云われています
江戸時代になって青山重太夫が富士浅間神社から勧請し建てたのが『富士社』と云われる
1617年(元和3)の創建とありますが、1970年(昭和45)に改修を行うも1985年に火災で焼失
1991年(平成3)崇敬者の支援により再建されたもの
子供の虫封じ御利益があると云われています
江戸時代になって青山重太夫が富士浅間神社から勧請し建てたのが『富士社』と云われる
社殿脇の社記
富士社の社殿右側に御大典(即位)記念碑
同じく社殿の右のこんもりと盛られた上に「御旗山」と刻まれた石標
家康は自軍の先遣隊が桧ケ根で秀吉軍の堀隊に敗れ敗走してくるのを見て、兵の一部をこの山に向かわせ頂きに金扇の馬印を立て喚声をあげさせ堀隊を威嚇しました
堀秀政は山頂の馬印を見て家康本隊が迫っていることに驚いて兵を退却させた
その御旗を立てたのがこの御旗山になります
後に富士浅間神社(富士社)を祀った事から御旗山は富士ヶ根とも称されるようになったと云われます
堀秀政は山頂の馬印を見て家康本隊が迫っていることに驚いて兵を退却させた
その御旗を立てたのがこの御旗山になります
後に富士浅間神社(富士社)を祀った事から御旗山は富士ヶ根とも称されるようになったと云われます
上から見下ろす石段、結構怖いものがあります
二の鳥居から南方向の眺め、見通しが効き今は住宅が広がります
御旗山『富士社』
創建 / 1617年(元和3)
御祭神 / 木花開耶姫命
住所 / 長久手市富士浦602
アクセス / リニモはなみづき通り駅下車東へ15分程
御旗山『富士社』
創建 / 1617年(元和3)
御祭神 / 木花開耶姫命
住所 / 長久手市富士浦602
アクセス / リニモはなみづき通り駅下車東へ15分程