橋の正面に東海道の道標と白い石標が視界に入ります
左は宿駅制度制定時に建てられた旧東海道の道標
右の角の欠けた石標は・・・・・
右の角の欠けた石標は・・・・・
廻り込んで見ると大きく「山崎橋」と彫られています
明治の頃に作られた「山崎橋」の親柱(欄干の端に立つ太い柱)と呼ばれるもので
当時のものが今も残ります、角が欠けた理由はなんでしょうね?
明治の頃に作られた「山崎橋」の親柱(欄干の端に立つ太い柱)と呼ばれるもので
当時のものが今も残ります、角が欠けた理由はなんでしょうね?
堤の上にさらに一段積まれた上に祠が祀られています、見えていた玉垣はこれです
こちらは鳥居も狛犬も見当たりません
住宅に挟まれ、対岸の秋葉神社以上に窮屈そう
堤防の南側は旧街道の名残りが漂う狭い道沿いに住宅が犇めいています
その様な立地だからでしょうか、このあたりには秋葉神社が点在します
こちらは鳥居も狛犬も見当たりません
住宅に挟まれ、対岸の秋葉神社以上に窮屈そう
堤防の南側は旧街道の名残りが漂う狭い道沿いに住宅が犇めいています
その様な立地だからでしょうか、このあたりには秋葉神社が点在します
堤から境内に入った右側に祠はあります
こちらも神社当番の方により、手入れされているようです
以前、私の町内にも神社を中心として、住民同士の交わりがあったものです
しかし、それも神社の荒廃と共に気が付けばなくなっていました
以前、私の町内にも神社を中心として、住民同士の交わりがあったものです
しかし、それも神社の荒廃と共に気が付けばなくなっていました
失うものは神社だけではなく、コミュニケーションの場や先人の思いも失う事かもしれません