『嶋川稲荷』名古屋市瑞穂区 #2

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東西に延びる妙音通の「妙音通3」の交差点を南に入ります
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マンションに挟まれた僅かな敷地、大きな松の下に鳥居と赤い奉納幟が見えます
窮屈そうに『嶋川稲荷』は鎮座します
この先は山崎川に突き当たります
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鳥居正面からの全景
ようやく赤い鳥居も視界に入ってきました
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石の鳥居に掲げられた『嶋川稲荷』扁額
区画整理などで移転を余儀なくされ、現在地に落ち着いたそうです
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細長い境内
その先にお狐様と祠が見えます
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小さい神社ですが立派な狐です
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屋根に覆われ、その下に祀られる祠
『嶋川稲荷』
創建 / 詳細不明
1743年(延享2)、「愛知郡村邑全図」に井戸田村の稲荷と記載が残る
1822年(文政5)当時、現在の地下鉄妙音通駅の北側出口から北側は嶋組と呼ばれた地区、その中の南前田と呼ばれた場所に鎮座していたと言われます
その後、明治、大正とその地にあったが、1926年(大正15)に道路整備の為、藤原師長公配所屋敷跡のあった田嶋に移転する
更に1939年(昭和14)道路拡張の為、藤原師長謫居碑と共に現在地に移転された
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祠の右にある藤原師長(もろなが)の謫居趾の碑と左の碑は読み取れない
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藤原師長
1138年(保延4)藤原頼長の次男として生を受ける、保元の乱のあと土佐に配流された
後に白河院政のもとで太政大臣従一位となるも、1179年(治承3)平清盛のクーデターで当地に配流された
配流後の龍泉寺で理覚と改め出家、仏門に入る
箏、琵琶の演奏に優れた才能を発揮、彼の琵琶は「白菊の琵琶」と呼ばれる
1181年(治承5)清盛の死後、京へ召還となります
師長に仕えた村長の横江氏の娘に白菊の琵琶を形見として残します
娘は現在の枇杷島まで師長を見送り、悲しみから琵琶と共に身を投じました
それと共に師宣の琵琶は幻の琵琶となります
(後に白菊の琵琶は宮内庁所蔵と判明)

1192年(建久3)55歳死去。法名は理覚、号は妙音院
妙音通、師長町、枇杷島の町名や神社から南の山崎川に架かる橋の名も「師長小橋」
これらは藤原師長にちなんだものと云われます
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現在の瑞穂区土市付近を描いた尾張名所図解(上)
師長の左に白菊の琵琶が描かれています、海を臨み琵琶を奏でる
リゾート?的配流

嶋川稲荷
住所 / 名古屋市瑞穂区土市町1丁目
アクセス / ​市営地下鉄名城線「妙音通」下車 徒歩約1分
2018/6/17
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絵図の山崎橋を起点に近隣の神社を落して見ました
​​​秋葉神社(河岸町)と山崎橋​  ​秋葉神社(呼続町)  ​迦具土神社ともろなか小橋