平日にもかかわらず駐車場は結構一杯です、さすが東の津島と云われるだけのことはあります
何回か参拝に訪れていますが、今回は津島神社ではありません
境内の北側にある津島神社の神宮寺である「宝寿院」を訪れました
何回か参拝に訪れていますが、今回は津島神社ではありません
境内の北側にある津島神社の神宮寺である「宝寿院」を訪れました
鳥居を過ぎて右手に宝寿院の看板
鎮守の杜で包まれ、手入れされた庭園を眺めながら参道を進みます
鎮守の杜で包まれ、手入れされた庭園を眺めながら参道を進みます
小池の右は津島神社です
狛象?が両脇で出迎えてくれる宝寿院入口です
参道は左に折れ本堂に続きます
参道は左に折れ本堂に続きます
狛象の左に掲げられた略縁記
以下は宝寿院HPから引用
今より1200年前、弘法大師(空海)が熱田社に詣でる道中津島に来臨されました。大師は人々が疫病に苦しむ様子を哀れみ、薬師如来を牛頭天王社(現在津島神社)弥五郎殿脇に奉安され、厄疫退散当病平癒の祈祷を勤修されました。以来、神仏混合の天王社は『東の津島、西の八坂』と称され、全国に末社三千の牛頭天王信仰を支えてきました。中でも信長、秀吉からは特に篤い信仰を受けたことでも知られています。
明治以前までは宝寿院・実相院・明星院の三寺の住職が天王社神宮寺別当職を継承してきました。神宮寺の内一番西に位置する宝寿院は、地域の人々に「西寺さん」と呼ばれ親しまれてきました。
ご本尊は薬師如来。子安地蔵、泉大竜神、弘法大師を奉安しております。真言宗智山派に属し、弘法大師より受け継がれてきた密教を伝えるご祈願のお寺です。
明治初年の神仏分離令は全国の神宮寺に多大の影響を及ぼし、寺の存亡に関わる事となりました。
尾張津島も例外ではなく、三つの神宮寺の内宝寿院以外は還俗(僧侶を辞めること)しました。そんな中、時の宝寿院住職・宥三は還俗すれば財産も身分も保証される中で孤軍奮闘。「いかに貧しくなろうとも 仏法捨てがたし」と、一年間寺社奉行へ日参し神宮寺の存続を訴えました。
しかし願いは聞き入れられず、宥三はついに私財を投げ打って宝寿院住坊を買取り、神宮寺の仏像仏画・法具の数々を焼き討ちから守り今に伝えています。
なんだか、HPの内容だけで充分な紹介です
以下は宝寿院HPから引用
今より1200年前、弘法大師(空海)が熱田社に詣でる道中津島に来臨されました。大師は人々が疫病に苦しむ様子を哀れみ、薬師如来を牛頭天王社(現在津島神社)弥五郎殿脇に奉安され、厄疫退散当病平癒の祈祷を勤修されました。以来、神仏混合の天王社は『東の津島、西の八坂』と称され、全国に末社三千の牛頭天王信仰を支えてきました。中でも信長、秀吉からは特に篤い信仰を受けたことでも知られています。
明治以前までは宝寿院・実相院・明星院の三寺の住職が天王社神宮寺別当職を継承してきました。神宮寺の内一番西に位置する宝寿院は、地域の人々に「西寺さん」と呼ばれ親しまれてきました。
ご本尊は薬師如来。子安地蔵、泉大竜神、弘法大師を奉安しております。真言宗智山派に属し、弘法大師より受け継がれてきた密教を伝えるご祈願のお寺です。
明治初年の神仏分離令は全国の神宮寺に多大の影響を及ぼし、寺の存亡に関わる事となりました。
尾張津島も例外ではなく、三つの神宮寺の内宝寿院以外は還俗(僧侶を辞めること)しました。そんな中、時の宝寿院住職・宥三は還俗すれば財産も身分も保証される中で孤軍奮闘。「いかに貧しくなろうとも 仏法捨てがたし」と、一年間寺社奉行へ日参し神宮寺の存続を訴えました。
しかし願いは聞き入れられず、宥三はついに私財を投げ打って宝寿院住坊を買取り、神宮寺の仏像仏画・法具の数々を焼き討ちから守り今に伝えています。
なんだか、HPの内容だけで充分な紹介です
宝寿院の全景
この境内の雰囲気は何と表現すればいいのでしょうか
力強さとは対極の温もりを感じる女性的な趣が漂います
この境内の雰囲気は何と表現すればいいのでしょうか
力強さとは対極の温もりを感じる女性的な趣が漂います
狛象の右に寺号標と降魔成道(ごうまじょうどう)の釈迦如来坐像
釈尊が悟りを開いて立たれるときに、それを妨げようと多くの煩悩が現れます、そのときに、お釈迦様はそれらの煩悩と戦い制圧、仏陀として悟りを開いたことを「降魔成道」と云われます
煩悩を振り払ったお釈迦様の表情は穏やかそのものです
釈尊が悟りを開いて立たれるときに、それを妨げようと多くの煩悩が現れます、そのときに、お釈迦様はそれらの煩悩と戦い制圧、仏陀として悟りを開いたことを「降魔成道」と云われます
煩悩を振り払ったお釈迦様の表情は穏やかそのものです
堂内全景
象の次は亀
境内の右手の釈迦涅槃像
その表情はどこまでも穏やかです
その表情はどこまでも穏やかです
本堂と右手は客殿(御朱印はこちらになります)
1981年に再建されたもので、本尊の薬師如来が祀られます
江戸時代までは津島天王社の本地堂(現在の津島神社弥五郎殿辺り)に祀られていましたが
明治初年にこちらに移されたもの
神宮寺当時から秘仏と云われ、毎年元旦から1月8日の初薬師の間に参拝客に御開帳されるそうです
一度は見ておかねば
1981年に再建されたもので、本尊の薬師如来が祀られます
江戸時代までは津島天王社の本地堂(現在の津島神社弥五郎殿辺り)に祀られていましたが
明治初年にこちらに移されたもの
神宮寺当時から秘仏と云われ、毎年元旦から1月8日の初薬師の間に参拝客に御開帳されるそうです
一度は見ておかねば
本堂左の泉大竜神
正面の建屋に祠が祀られています・・・・・嫌な予感
正面の建屋に祠が祀られています・・・・・嫌な予感
水琴窟(左)と双連の樹、元は別々で芽生えいたものが何時しか根元からひとつとなり、一本の大樹(イスの木)となったもので、夫婦和合の願を叶えて頂けるそうです
そういえば、かみさんは御朱印を頂きに行ったまま戻ってこない
探して見れば、こちらで出逢った御朱印ガール?とずっと情報交換をしています
これは長引きそうです
そういえば、かみさんは御朱印を頂きに行ったまま戻ってこない
探して見れば、こちらで出逢った御朱印ガール?とずっと情報交換をしています
これは長引きそうです
津島神社に参拝してくるかァ