名古屋市瑞穂区 #6 『津賀田神社』

瑞穂区津賀田町
山手グリーンロード瑞穂運動場西交差点から程近い、緩やかな丘陵地に津賀田神社は鎮座します

駐車場を探すため周囲を一周、西側に駐車場がありましたが入口は△コーンで閉ざされ、「参拝者以外駐車お断り」だったかな?の看板と監視カメラのマークが・・・・・
コーンをずらして駐車させて頂こうとも考えるもなんだか居心地がよろしくない
車で神社を一回りするも、コインパーキングも見当たらず
イメージ 1
瑞穂台地に建ち、周辺は細い道路が入り組み、一方通行が多い場所
三差路の角に津賀田神社社号標
入口に提灯掛と参道には鳥居が幾つか見て取れます
イメージ 2
津賀田神社社号標と入口に掲げられた市教育委員会の解説
『津賀田神社、尾張志に本国帳に愛智郡従三位津賀田ノ天神とある是也とあり、天照大神仁徳天皇を祀る古社で、俗に若宮八幡とも井戸田八幡ともいった。
また、社宝の書写大般若経は、「尾張志」に「此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃におさめ」とあり、その大般若経の多くは南北朝ごろに書き写されたもので、このことから神社の創建は鎌倉末までさかのぼるとされる。』と解説されています

こちらの神社は格式も歴史もある事は理解できるが良くわからない事も多い

神社のある瑞穂台地やここから南の笠寺台地にかけて古くより人が住み、多くの古墳が残ります
津賀田古墳がありますが住所はこちらの神社の所在地の町名が符合します
古墳の上に神社が建てられることは珍しい事ではないけれど、番地が違う様な
道路を隔てて北側が古墳の所在地、車がなければひと回りしたいところ

井戸田八幡の井戸田は以前この辺りは井戸田村であった事からこちらも符合します
尾張名所図会を調べて見た、前篇5の46頁に「津賀田社」としてこの辺りの記述が記されていた
イメージ 3
井戸田村にある。仁徳天皇を祭り、俗に若宮八幡と称す・・・・・本国帳に「愛智郡従三位津賀田天神」是なり・・・・・右大将源頼朝公誕生の地にして、其産土神なる故なりて・・・・・
治承4年社を鎌倉にうつしまつり鶴岡下宮で 治承5年5月13日鶴岡造営のことは東鑑にしるされど、ここより勧請せしよしは見えず・・・・・・。又其誕生の地といへるは、熱田の誓願寺境内なるよし、すでに其所にしるせしごとくなれば、今何れか本所なるや、是非定めがたし
の記述
イメージ 4
頼朝生誕地として誓願寺の他に瑞穂区には龍泉寺が知られているが正に「何れか本所なるや」
俗に「若宮八幡と称す」、栄にある若宮八幡との関連も良くわからない、 あまり考えるのはやめておこう
なぜならば参拝し、境内を良く見たいが車の落ち着く場所がない
イメージ 5
しかたなく、車から降り参道と解説板を収める
イメージ 6
参道入口の看板
イメージ 7
車でもう一回り、東側の車道から神社東側の眺め、延々と玉垣が続く
イメージ 8
東側に境内入口があるも△コーン、奥に拝殿が見えています
イメージ 9
車を降り、目一杯のズームで拝殿全景、本殿は見る事が出来ませんでした
拝殿右は津賀田稲荷大明神の鳥居、境内には他に津賀田竜王神社が祀られているようです
何れにせよ、参拝するには車は邪魔です、日を改めて参拝とします
イメージ 10
参道入口の注意書きと外周を一回りして見かけた禁止表示の数々
大きく格式のある神社で住宅街に囲まれた立地、随分長い時間くるくる回っていましたが
その間も訪れる参拝客をお見受けする事はありませんでした

頑なに禁止看板を建てるには何か理由があるのだろう
大きくて静まり返った境内に異様な空間を感じる、尊厳というものだろう
敷居が高いとでも表現すればいいのか、何か落ち着けないものを感じます

我家の子供達、私は夕涼みがてらベビーカーで彼らを連れ、近所の神社へ参拝に出かけたものです
成長に伴い、虫かご片手に訪れもしました
いつしか宮司さんからも子の成長を見て声をかけて頂くように
小さな神社で歴史も足元に及びませんがとても身近な存在、子が遊び、人が集うそんな神社だった

津賀田神社
創建 / 不明
御祭神 / 仁徳天皇天照大御神
住所 / 名古屋市瑞穂区津賀田町3-4
アクセス / ​市営地下鉄桜通線「瑞穂運動場西」西へ徒歩10分程
近隣の寺社 / ​田光八幡社​、​秋月院