名古屋市瑞穂区 #7 『東ノ宮神社』

瑞穂区神穂町

 地下鉄名城線の堀田駅から150mほど南に行くと、松田橋交差点に出ます
橋と地名はあるものの橋はなく、交通量の多い国道1号線に架かる歩道橋があるのみ
歩道橋脇の名古屋高速3号大高線高架下に八丁畷(なわて)公園があります

八丁畷は1575年(天正三)織田信長が四人の通路奉行を置いて、領地の道路を整備した際、浜の道(熱田~笠寺)も作られた事から始まり、後に1601年(慶長六)徳川豪康か伝馬制度を定め、その道は東海道の一部となり、この周辺が田と田の間を通っていたので八丁畷(なわて)といわれるようになった
井戸田村から浜新開への用水がこの東あたりで北から南へ横断していた、そこに架けられていたのが松田橋でその橋の名前が交差点に名として残っています
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当時の松田橋は現在はなく、保存されていた松田橋の親桂を便い八丁畷公園に一部復元されています
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今回の目的地は「東ノ宮神社」松田橋交差点の少し南に位置します
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パチンコ店の南から北の八丁畷公園方向を返り見る
国道は相変わらずの交通量です
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そこから左に入ると直ぐに玉垣に囲まれた小さな杜
目指す『東ノ宮神社』は地下鉄堀田駅からフラフラ歩いても10分もかかりません
フラフラとパチンコ屋に寄れば「lucky」なのか「unlucky」なのか、神のみぞ知る
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パチンコ店の南裏の交差点、角地に木の鳥居を構えた小さな神社
南面を3枚貼り合わせて一枚にしてみましたが・・・・・無理があるね
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正面の鳥居から境内の眺め
鳥居右に社号標、正面に社が3つ見えます
ビルが西陽を遮り、いい日蔭を提供してくれてます
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石のディテールをそのままに残した社号標
その後方にある石標は明治天皇覧穫之所の碑があります
覧穫之所とは何ぞや
1936年(明治元年)、遷都のため京都から東京に向かう途中の明治天皇
当地に立ち寄った際、当時の藩主徳川慶勝に今年の稲の出来を尋ねた事から
ここ八丁畷で収穫の様子や収穫した稲穂を見せた事がこの碑の由縁のようです
碑は1913年(大正2)に建てられたもの

町名の神穂はこの奉納田があった事から付いた町名といわれているようです
当時を偲ばせる絵が先ほどの松田橋の付近に掲げられています
八丁は松並木の距離から来ています
長閑な田園地帯に八丁も続く松並木、西には渚が迫る、少し前のこの辺りの情景です
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鳥居左の由緒書き
祭神 /熱田大神天照大神素盞鳴尊日本武尊、宮簀媛命、建稲種命
末社 / 多賀神社、秋葉神社津島神社熱田神宮秋葉神社
秋葉神社が重複している様ですが良くわからない
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境内左にカボチャの様な手水鉢(現在は使われていないようです)
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現在の手水鉢はまるで舳を南に向けた舟の様な形をしています
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手水鉢の左に社務所がありますが無人の様でした
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鰹木、千木が施された境内中央の社殿
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右側の末社
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左側の末社
何れも詳細が記されていないので、ここに記すのは避けます
詳細が分かれば加筆する事にさせて頂きます
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『東ノ宮神社』で印象的なのが碑
上段左、「明治天皇八町畷御野立所」を右斜めから、右に1919年(大正8)と刻まれた碑
下段左、「明治天皇八町畷御野立所」の左斜画像(昭和9年)、中央「永仰神徳」、右は「明治天皇覧穫之所」と狭い境内に碑が複数建之されています
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残念ながら創建までは分かりませんでしたが
周辺の呼続新瑞方面に拠り所は多数あり、ここだけでは終わらないと思います

永仰神徳 『東ノ宮神社』
住所 / 名古屋市瑞穂区神穂町
アクセス / ​地下鉄名城線「堀田」下車、徒歩5分