地下鉄上前津近隣 Vol5 『万松寺』

名古屋市中区
大須を南北に伸びる新天地通り
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以前は電子パーツやオーディオ等のマニアックな店が多い印象でしたが
時代に応じ様変わりする新天地通りは若者や観光客で賑わっています
何かに出逢えるスポットなのは今も昔も変わらない様です
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通りから一筋外れれば、人通りの少ない静かな街並みも残ります
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上は尾張名所図会に描かれる万松寺

昔は鎌倉街道沿いの小さな集落や神社仏閣が点在する松波が続く原野
名古屋城築城に伴う清州超し(1610年)から始まり、近隣に大須観音、​若宮八幡社​、万松寺が遷座され、
それらを中心に人が集まり、繁華街が出来ていきます
名古屋繁華街の原点と言っても過言ではないのかも
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人通りの少ない新天地通り西側、ビルの裏側に「織田信秀廟所」の石柱と祠が視界に入る
(織田信秀は信長のおやじさんですね)
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祠正面に回り込む
重軽地蔵と言われる二体の地蔵が祀られています
お参り前にこの地蔵様を持ちその重さを感じとります
願いを込めお参りした後にもう一度お地蔵様を持ち上げ、軽く感じれば願いは叶うとされます
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御深井観音
重軽地蔵の後方にあり、徳川春姫の守護仏とされます
名古屋城の北御深井の里で祀られてていましたが、後に春姫様の菩提所である萬松寺に移されます
以前は木造でしたが、戦争で焼失し大正に入り現在の石像に姿を変えたようです
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仏足石
御深井観音後方の覆い屋根の下にあり、遠目にはただの四角い白い石
良く見れば天面に足跡が刻まれています
名古屋城築城で集められた石材の中から、加藤清正が見つけ礼拝したと云われています
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重軽地蔵から北に少し歩く、大きな5階建てのビルが万松寺
時代に応じ様変わりする大須
万松寺も時代の先端を行くようです、仰ぎ見る本堂は立派そのもの
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本堂扁額と堂内
黒に三つ葉葵の紋が入る賽銭箱
建て替えも終わり、近代的な寺に生まれ変わった様です
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本堂左の立派な案内板
案内に導かれ進んで見ます
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信秀公墓碑
案内板の左脇にあり、建て替えとともに再建されたもの
万松寺を開基した織田信秀の墓碑、見下ろすような高い場所にあります
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墓碑からさらに進むと新天地通りの喧噪が伝わってきます
通りから見た万松寺
カラフルなLEDディスプレーに映し出される目まぐるしく変わる表示
・・・・・先端を歩んでいる
山号扁額も真新しいものです
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身代不動明王
黄金色に輝く扁額、随分と綺麗になりました
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左の白雪咤枳尼真天
こちらも朱も鮮やかな鳥居が建てられ以前の面影は皆無、確か狛犬がいたと思うが、今は見当たらない
どこかにいるのか?
手水鉢もリニューアル、象さんも変わったみたいですね
奉納提灯が壁の様に連なっていた頃から見ると綺麗に整理されたものです
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本堂右の白龍
二階の屋根を貫き建てられた高さ8mと言われるモニュメント
嘗ての守護神も建て替えに伴いバージョンアップされました
11:00から2時間毎に自動で「再生」をテーマとしたアトラクションが行われます
水煙を履き、LED照明で照らされた白龍は通りを訪れる者の足を止めます

時代の先端を行くチャレンジングな寺ですね
以前の写真が無いだけに、もっと早く訪れておくべきだったようです

万松寺
宗派 / 曹洞宗
開基 / 1540年(天文9)、古渡城主、織田信秀織田家菩提寺として開基
本尊 / 十一面観世音菩薩

もとは、中区錦と丸の内二、三丁目辺りにあった、大殿と七堂伽藍を備えた一大寺院
1610年(慶長15)名古屋城築城に伴い、家康の命によりこの地に移転
戦災により焼失、後に稲荷堂、不動堂、1994年現本堂を再建
住所 / 名古屋市中区大須3-29-12
アクセス / ​市営地下鉄鶴舞線・名城線「上前津駅」から徒歩約5分
2018/8/8撮影
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6月24日にかみさんが頂いて来た御朱印
この日の御朱印待ちは4時間だったそうです
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地蔵さんの笑顔が可愛い